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フィクションから生まれるリアル〜脚本の魅力

アンドリュー・ニコル
アンドリューニコルGetty Images

脚本を担当したのは、『ガタカ』(1997)、『TIME/タイム』(2011)といった、ディストピアSFで知られる、映画監督・脚本家のアンドリュー・ニコル。オリジナル脚本ではあるが、日常が実は虚構だったというアイデアの根幹は、SF小説の大家フィリップ・K・ディックが1959年に発表した「時は乱れて」からインスパイアを受けている。

本作の脚本には、メタフィクション(フィクションについてのフィクション)特有の面白さがふんだんに詰め込まれている。

ある朝、トゥルーマンは、カメラが仕込まれた洗面台の鏡をじっと見つめながら、石けんで鏡に宇宙服の絵を描き始め、独り言を言い始める。

この奇妙な振る舞いに、スタッフと視聴者はいつもの滑稽なトゥルーマンが戻ってきたと感じるが、実はこのとき、トゥルーマンはすでに洗面台に仕掛けられたカメラに気づいている。トゥルーマンは、彼自身を演じているのだ。

そして終盤、「世界のカラクリ」に完全に気づいたトゥルーマンは、シーヘブンからの脱出を試みる。トゥルーマンの脱出を阻むため、放射能漏れや嵐など、特殊効果でさまざまなトラップを仕掛けるスタッフたち。しかし、トゥルーマンはそれをものともせず、大海原へと漕ぎ出す。

そして、視聴者やスタッフたちも、そんなトゥルーマンを応援し始める。

ここで重要なのは、トゥルーマンの主体的な行動が、スタッフたちが考えていた筋書き(フィクション)の範疇を超え、リアリティを生むことだろう。ここには、リアリティショーの醍醐味がある。

とはいえ、トゥルーマンのリアルな行動すら、結局は本作では「メディアの肥やし」になってしまう。そこになんともいえない虚しさを感じてしまうのは、筆者だけだろうか。

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