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永遠なる美を求めてー脚本の魅力

映画『ベニスに死す』
映画ベニスに死すGetty Images

あらすじからも分かるように、本作は「中年男の同性愛の物語」であり、BL(ボーイズラブ)的な扱いをされることも多い。中年男性のアイデンティティの揺らぎを描いた作品として後世に与えた影響は計り知れず、芥川賞作家・平野啓一郎の小説『マチネの終わりに』では、“現実社会に嫌気がさした中年が、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出ること”を「ベニスに死す症候群」と定義している。

一方、本作は観念的な芸術映画でもある。カギとなるのは、アッシェンバッハの回想シーンで流れるアルフリートとの芸術談だ。

このシーンでアルフレッドは美の永遠は直感の中にあると説く一方、アッシェンバッハは理性と努力をもってすれば人間でも美を生み出すことは可能だと述べる。

そんな彼の目の前に登場したのが、究極の美を持って生まれたタジオだった。つまり、本作は、非人工的な自然美への賛歌であり、タジオは性別や種族を超えた完全美の体現者なのだ。

本作の終盤では、コレラが蔓延し、美しかったベニスが徐々に崩壊していく(この展開に昨今のコロナ禍を連想する人も多いだろう)。しかし、アッシェンバッハは、街に残り続け、ベニスと運命を共にする決断をする。

では、なぜ、アッシェンバッハはあえて死を選んだのか。それは、彼が「永遠」を見つけたからだろう。タジオを目に焼きつけて息耐えれば、タジオの美は、アッシェンバッハの死の中に永遠に残り続けるのだ。

タジオを前に恍惚とした表情で息絶える白塗りのアッシェンバッハ。その悲しい芸術家の末路は、美しくも崇高で、そしてなんとも滑稽でグロテスクだ。

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