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死の重みを際立たせる2部構成ー脚本の魅力

黒澤明監督

あらすじからも分かる通り、本作は2部構成になっている。

全体のおよそ3分の2を占める前半は、渡辺が癌を宣告されてから自身の生きる意味を見つけ、そして死ぬまでの半年近くが丁寧に描出される。そして、3分の1を占める後半では、渡辺が公園建設に奔走する様子が、渡辺の通夜に集まった同僚たちの回想を通して描かれる。

本作の脚本の出色は、後半の通夜のシーンだろう。このシーンでははじめ、同僚たちが、渡辺の公園建設の手柄を自分のものであるかのように吹聴する助役を立てる。しかし、真実を知った記者や市民が続々通夜にやってきて、助役が気まずくなって退席すると、同僚たちから渡辺の功績が語られ始める。

おそらく、凡庸な脚本家・監督であれば、はじめから終わりまで一貫して渡辺の視点から物語を描くことだろう。しかし、渡辺の行いを主観と客観双方から描くことで、お役所仕事に終始する官僚主義を批判するとともに、渡辺の最期の仕事の大切さや渡辺の死が遺されたものに与えた影響をはっきりと浮き彫りにできるのだ。

ちなみに、ラストシーンでは、渡辺の功績を称えていた同僚たちが、新課長のもと、再びお役所仕事に戻る姿が描かれている。渡辺のような生き方は、誰にでもできるものではないのかもしれない。

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