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生と死を対比させるカメラワークー映像の魅力

(左)ジョージ・ルーカス(中)黒澤明(右)スティーブン・スピルバーグ【Getty images】
左ジョージルーカス中黒澤明右スティーブンスピルバーグGetty images

本作には、黒澤らしい画面構成があちこちに散見される。

例えば、渡辺が自身のがんを悟った後、夜の自宅で息子の光男との思い出を振り返るシーン。このシーンでは、まず、子供の頃の光男の野球の試合を観戦する渡辺の顔と回想にふける渡辺の顔がオーバーラップする。

さらに、病床の光男と付き添いの渡辺の乗ったエレベーターの動きと、回想にふける渡辺の顔を捉えるカメラワークがオーバーラップする。こういった演出により、渡辺の内側の感情の流れを見事に表現している。

極め付けは、渡辺が小田切と喫茶店で会話をするシーンで見られる「生と死のコントラスト」だろう。このシーンでははじめ、画面の手前で渡辺と小田切が会話をしており、階段を挟んで後方では、女学生たちが誕生日会の準備をしている。小田切は、自身がおもちゃ会社に就職したことを伝え、何か作る仕事をしなさいよ、と渡辺に発破をかける。

目覚めた渡辺は、小田切に別れを告げた後、駆け足で階段を下っていく。と、渡辺をまるで見送るように女学生たちが階段上に集まり、一斉に「ハッピーバースデートゥーユー」を合唱し始める。渡辺が去るのとちょうど同じタイミングで、誕生日会の主役がやってきたのだ。

死を前に階段を下る初老の男と、誕生日を迎えて階段を上っていく若い女性。その鮮やかなコントラストが物語にダイナミズムを生んでいるのだ。

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