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夢に対して対照的なジョーと22番

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まずこの作品の序盤で印象的なのは、ジョーと22番の考え方の違いだ。

ジョーは、音楽教師からジャズ・ピアニストへの夢がようやく叶う直前でソウルの世界に来てしまったため、何が何でも人間界に戻って夢を叶えようと躍起になっている。

一方22番は、作中のセリフを聞く限り、おそらく何千年も前からソウルの世界に居続ける問題児だ。心動かされる夢(作中では「きらめき」と呼ばれている)を持ったことがないため、一度も人間として生まれ変わったことがないのである。

映画を観ていて、私は両方の気持ちに覚えがあった。あえて斜に構えた表現をすれば、ジョーは「夢さえ叶えば自分の未来は最高」と信じて疑わないイケイケタイプ。夢が叶った後も、ずっと夢が叶った時の幸福が続くと思っている。いや、もしかしたら夢が叶った時の幸福がゴールで、夢が叶った後のことなど想像すらしたことがないかもしれない。夢が叶った時の幸福などあっという間に過ぎ去るというのに。

筆者もこの経験はある。高校生の時、大学生は随分と大人で自由に見えていた。大学生になれば受験勉強からも解放されるし、きっと毎日楽しいに違いないと思っていたのだ。しかし、いざ晴れて大学生になってみると、決して不幸なわけではないのだが、高校生の頃に思い描いていたような圧倒的な幸福を感じることはできなかった。

一人暮らしを始めたり、慣れない環境で人間関係に揉まれたり、試験やレポートの山に取り組んだりなど、それ相応の苦労や努力は必要だった。当たり前だが「大学生になれば辛いことはなくなり、楽しいことが永遠に続く」なんてことはなかったのである。

そして気づくのだ。私が思い描いていた幸福は、合格発表の夢が叶った瞬間の幸福だったのであり、皮肉なことに「未来は最高に幸福に違いない」と想像を膨らませていた瞬間こそが、幸福のピークだったのだと。

では、それに気づいてしまった人間が、その後どのような思考回路になるかというと、挑戦することにピュアな気持ちを抱けず、ワクワクを感じなくなる。先程の大学生の例を使うならば、「これからの未来に胸をときめかせる高校3年生の春休みが一番幸せなのだろうな」と思ってしまうのである。

だからこそ、22番の気持ちも分かるのだ。人間界に生まれ変わり、有限な人生を全うすることは、かなり労力を使う挑戦だ。肉体を持ってしまうと、病気や怪我で痛い思いもするだろう。しかも人間界に行ってまでやりたいことが特にない。だったら安全なソウルの世界に居続ける方が楽だ。行動しなくて済むし、代わり映えしないけれど、ある程度の幸福が永遠に保障されて良いじゃないかと思うからだ。

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