映画『AKIRA』の凄いポイント②
現実を予見した鋭すぎる未来描写
『AKIRA』の舞台は2019年。現代から見れば過去であり、映画公開当時から見れば、近未来である。
映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』なども同様であるが、映画で描かれた未来予想図と我々が生きる現在との答え合わせも醍醐味の一つだ。とはいえ、映画が描く未来の描写と現実はなかなか合致するものではない。空を飛ぶ車もホバーボードも未だに一般化されていないのが現状であり、過去のクリエイターが思い描く未来予想図は、ベタな意味でSF色が強く、「未来はこうあってほしい」という願望込みのファンタジックな世界観になりがちだ。
しかし、『AKIRA』は違う。「ネオ東京」と言われる街並みは、外国人観光客を惹きつけている(あるいは外からの視線を過度に意識した)現在の東京・歓楽街のエキゾチックな景観を見事なまでに予見している。さらに、『AKIRA』の舞台となる2020年の東京では、なんとオリンピックが開催される予定となっており、会場建設地の様子が描写されている。
また、登場人物の服装もいわゆる近未来的なデザインではなく、彼らは皆、例えるならば、高円寺で買ったような古着を着ており、ファッション面においても、2023年から振り返ってもまったく違和感がない。主人公・金田が乗るコンピューター制御されたバイクも、一般化はされていないが、現代の技術を用いれば十分開発可能であることがわかっている。
ただし、他の近未来モノの作品にも言えることなのだが、『AKIRA』でさえも携帯電話の普及だけは予見できていない。まさか国民の多くが、通話機能を備えた超小型パソコン(スマートフォン)を携帯する世の中になろうとは、名だたるSF作家も想像だにしなかったのだろう。ひょっとしたら、現代の若者は『AKIRA』を鑑賞した際に、「何でこの人たちはスマホで連絡し合わないんだろう?」と思ったりするのだろうか。それはそれで興味深い事象である。