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「あれは金もうけでやっているのだろう」と日本アカデミー賞を痛烈批判

(左)ジョージ・ルーカス(中)黒澤明(右)スティーブン・スピルバーグ【Getty images】
左ジョージルーカス中黒澤明右スティーブンスピルバーグGetty images

『どですかでん』の失敗により、黒澤明のブランド価値は急下落。一時はもう二度と大作を撮ることはないだろうと思われるほどだった。しかしその後、転機が訪れる。『どですかでん』をモスクワ国際映画祭に出品した黒澤は、かの地で映画製作の話を持ち掛けられるのだ。

興味深いことに、ロシア人は、アメリカやイタリアの新しい映画監督たちと同様、黒澤監督に限りない尊敬と畏敬の念を抱いていた。ロシアで製作された映画『デルス・ウザーラ』(1975)で黒澤は自分の芸術性を再発見し、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞。見事に復活の狼煙を上げることに成功したかと思いきや、日本映画界の魂を再ぶ揺り動かすことは叶わない。

『デルス・ウザーラ』の次作に『乱』の企画を立ち上げるも、莫大な製作費がかかるという理由で、製作は難航。そんな中、苦肉の策として生み出されたのが、『乱』の製作費を軽減するために『影武者』(1985)を製作するというアイデアだ。『影武者』を『乱』と同じような時代設定の物語にすることで、甲冑や衣装などの小道具を流用し、『乱』の製作費を下げようとしたのだ。

とはいえ、『影武者』の製作費も他の日本映画と比べてけた外れに高い。こちらの企画も頓挫しかけるかと思いきや、再び海外から救いの手が黒澤に差し伸ばされる。黒澤の苦境を聞きつけたジョージ・ルーカスとフランシス・フォード・コッポラが、20世紀フォックス社長のアラン・ラッド・ジュニアに働きかけたことで、同社が海外配給権を購入する条件で出資することが決定したのだ。

苦難の末に完成にこぎつけた『影武者』は、カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルムドールを受賞。さらに、第53回アカデミー賞で外国語映画賞と美術賞の2部門にノミネートされるなど、黒澤の国際的評価をワンランク上に押し上げることに成功した。

本場アメリカのアカデミー賞で高く評価された『影武者』だが、黒澤は日本アカデミー賞への出品を辞退している。1978年に開始された日本アカデミー賞だが、黒澤は、創設当時より、その存在意義に疑問を呈し、国際映画祭の開催に喫緊の課題を見た。

『影武者』が日本アカデミー賞を辞退した当時のインタビューでは、「いま日本映画にとって重要なのは監督、撮影、シナリオ等の各種団体が一丸となる組織」であることを指摘し、そうした組織の不在によって「アカデミー協会なんてバカなものが出来る。あれは金もうけでやっているのだろう」と痛烈に批判した。

黒澤明の日本アカデミー賞批判には、彼が日本映画界に対して長年抱き続けた懸念が顕在化していると言っていいだろう。

自伝の中で黒澤は「なぜ日本人は日本の価値を信用していないのか?」と口にしている。人生の最後の数年間、彼は鬱々とした気分と満足げな気分の間を行き来しながら、日本映画界における自分自身という厄介な立場と向き合っていたのだ。

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