「映画の芯になる言葉を引き出すことを意識した」
撮影に臨むにあたり心掛けたこと
―――冒頭に、2020年1月に行われた、matohuの集大成となる展覧会『日本の眼』の様子が示され、それから“かさね”、“ふきよせ”といったmatohu独自の概念が言葉とイメージによって丁寧に紐解かれていきます。このような構成をとったのはなぜでしょうか?
「最初の段階では、展覧会が映画のゴールになるのではないかと漠然と思う一方で、そのアイデアに対する疑念も持っていました。
そして展覧会の撮影を始めましたが、“かさね”、“ふきよせ”、“なごり”といったキーとなる言葉、それを着想するきっかけとなったモノや景色が丁寧にレイアウトされていました。そして、matohuが手がけた服をじっくり撮影することで、服のテクスチャーと初めて向き合うことができました。
そうした経験からインスピレーションを受けて、展覧会のシーンを映画のゴールではなく、matohuおよび“日本の眼”の世界観を示す入り口にしようと着想しました。
展覧会に訪れた人は、“かさね”の前で立ち止まり、その世界に入っていく。そして、歩みを進めると、次は“無地の美”の世界に入っていく…。展覧会を見て回るお客さんの感覚を観客に追体験させたいという思いがあったのです」
―――劇中では三宅監督がインタビュアーとなって、堀畑さん、関口さんから言葉を引き出しておられます。お2人から言葉を引き出すにあたって、どのようなことを意識しましたか?
「この映画では、インタビューをドキュメントとして示すよりも、彼らの表現の背骨となっている言葉、映画の芯になる言葉を引き出すことを意識しました。
そのためには、シーズンごとのコンセプトについて凄く勉強をしました。とはいえ、彼らは、“かさね”や“ふきよせ”といった言葉について常日頃から考えていて、それらは、彼らの中で既に出来上がっている言葉です。
インタビューを行うにあたっては、文字に書かれた言葉ではなく、肉体を通した、身体性を伴った言葉を引き出すことを一番に意識しました」
―――インタビュー映像の合間に、言葉が指し示しているイメージが、具体的な映像として随所でインサートされます。それらの映像はお2人の言葉を基に撮影されたのでしょうか?
「映像を撮る上で2人の言葉がヒントになったのは間違いありません。とはいえ、例えば、“かさね”を表現するためにはどういうイメージが必要なのかは、インタビューをする前からしっかりと考えていました。
言葉を受けて初めて風景のイメージを持ったのではなく、質問を投げかけた時に返ってくる言葉を受けて、強く押し出したいイメージと、そぐわないイメージを取捨選択して、撮影に臨んだというのが正しい言い方かもしれません」
―――中盤では、塗師の赤木明登さん、能楽師の津村禮次郎さん、俳人の大高翔さんの3人が登場し、それぞれ異なる視点からmatohuの魅力を語ります。この3人をフィーチャーした理由を教えてください。
「服は着る人がいて初めて成立するものです。“服をまとう”とはどういうことなのか。それを着る側の視点から描きたいという意図がありました。
3人は専門分野、年齢、性別もそれぞれ異なりますが、共通しているのは、伝統芸能や伝統的な物づくりに従事しているという点。さらに言うと、3人とも伝統を保守する方向にではなく、いかにして現代に活かしていくかについて真剣に考えている人たちです。それは物づくりに対するmatohuの姿勢と深い部分で共通しています」
―――3人はmatohuの服についてのみならず、自身の仕事との向き合い方についても言葉を紡ぎますが、堀畑さんや関口さんの言葉と共鳴する部分が多々あり、映画を深く、立体的にしていると思いました。
「異なる立場の人たちの言葉が入ることで、映画に膨らみが出たと思っています」