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仮面と素肌の境目に宿るもの
庵野版『仮面ライダー』が強調するのは“人間性”

サプライズ出演の斎藤工Getty Images

また、随所で庵野らしいリアリズムの追求やこだわりが光る。「なぜそうなのか?」という理由付けがしっかりしており、普通の特撮ヒーローだったらそこは別に気にならないところでも、細かい設定やドラマを盛り込んでいる。

例えば、「なぜマフラーをしているのか」「なぜ仮面をつけているのか」「なぜ仮面が変わったのか」などだ。逆に、オリジナルの「ここはリアルに考えたらちょっと違うかも」というところは大胆に改変している。

オリジナル版の『仮面ライダー』では、人間状態からヒーローに変身する際に“変身ポーズ”が描かれる。しかし、よく考えると、肉体改造をされてしまったのだから、本郷のボディはずっとバッタオーグのままのはず。

したがって、本作ではいちいち「変身ポーズ」で切り替わったりはせず、ベルトのスイッチを起動させ、仮面を被ることによって、戦闘モードへの移行を表現している。本郷が終始、ロングコートを身にまとっているのは、肉体改造の生々しい傷跡を隠すために他ならない。

さらに、特筆すべきは、仮面ライダーの「人間性」、あるいは「人間の身体性」が強調されているという点だ。本郷が仮面をつけるのは、感情が昂ると改造手術の傷跡が浮き出るので、それを隠すためである。しかしその一方、仮面はオーグメントの暴力性を高める機能もある。

本郷は仮面を被ることで人間を超えたパワーを手に入れるが、仮面の下からは首元の肌や髪の襟足が露出している。通常の特撮ヒーローものであれば、肌や髪の毛を隠そうとするのが定石だ。しかし、庵野秀明はあえてそれを露出させることによって、意味を持たせている。

仮面と肌の境目からは、人間とサイボーグの狭間で引き裂かれる、本郷の心の葛藤が感じられるのだ。

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