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血のつながりを視覚化する演出の妙

©2022銀河鉄道の父製作委員会

賢治が生まれ育った20世紀初頭、日本では男尊女卑の価値観が主流であり、一家の長である父親が家族の中で絶対的な権力を保持する家父長制が支配的であった。そうした時代背景を踏まえると、病気(赤痢)に罹った幼い賢治を心配し、仕事を中断して付きっきりで看病する政次郎の振る舞いは、当時の規範から明らかにズレている。

一方、現在の視点からすると、子供の世話を妻に任せきりにせず、身を挺して子育てに向き合う姿はきわめて先進的だ。政次郎は直感の赴くままに突き進む賢治に翻弄され、時には激しく言い争う。しかし、どんなことがあっても、政次郎が賢治の味方でいることをやめないのは、両者に同じ血が流れているからであり、それは「規範からのズレ」という点に見出せる。

本作で役所広司と4度目のタッグとなる成島出監督は、田中泯扮する父(賢治の祖父)・喜助と政次郎が「父親らしさ」をめぐって言い争うシーンと、政次郎と賢治が質屋の後継ぎをめぐって喧嘩をするシーンを、手持ちカメラによるワンシーンワンカットという同一の演出で描き出すことによって、両者の通底性を表している。

また、風呂敷を背負って幼い賢治の病床へと駆けて行く政次郎の動きは、後に描かれる賢治の疾走を予告しており、ここでもアクションを反復させる演出によって、親子の共通性が視覚的に表現されている。

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