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菅田将暉の“凄まじい演技”が炸裂。映画『銀河鉄道の父』、史実と異なる「宮沢賢治の死」その結末は? 忖度なしガチレビュー

text by 山田剛志

第158回直木賞を受賞した門井慶喜による小説を、役所広司、菅田将暉の豪華共演で映画化した『銀河鉄道の父』が公開中だ。今回は、宮沢賢治の生涯を父親からの目線で描いた同作の、演技、演出に着目したレビューをお届けする。(文・山田剛志)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】

父・政次郎の視線からとらえた新しい宮沢賢治
菅田将暉が挑む宮沢賢治の“脱神話化”とは

©2022「銀河鉄道の父」製作委員会

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

宮沢賢治『春と修羅』

長編小説『銀河鉄道の夜』(1934)、短編集『注文の多い料理店』(1924)で知られる、国民的童話作家・宮沢賢治(1896~1933)。日本人であれば誰もが一度は、国語の教科書などでその作品世界に触れた経験があるのではないだろうか。

宮沢賢治と聞くと、菜食主義や自己犠牲のイメージも相まって、立身出世のためにではなく、無私の精神で文学に励んだ“聖人”の姿を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、本作が描くのは、賢治の父・政次郎(役所広司)の視線から描かれた、まったく新しい賢治像だ。

無垢であると同時にエキセントリック、分け隔てない性格の持ち主であると同時に一度決心したらテコでも動かない頑固者。賢治に扮した菅田将暉は、ドストエフスキー作品の登場人物を思わせる、ある時はプラスへ、またある時はマイナスへと、まるで「有機交流電燈」のように感情を激しく変化させる“けったいな人物”を人間臭く演じ、賢治の“脱神話化”を鮮やかに成功させている。

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