「言葉の導きによって物事の見え方が変わる」
過去作から変化した字幕を駆使した演出
―――字幕は『害虫』(2001)でも多用されていましたよね。この作品もたしか宮崎あおいさん演じるヒロインの日記が抜粋されていたような…。
「『害虫』は手紙なんです。田辺誠一さん演じる先生と宮崎あおい扮するサチコは文通をしていて、その文面が随所で出てくる。シナリオ上は、ナレーションを想定して書いていて、実際に俳優たちに読んでもらいました。お2人とも凄く良い声で、満足のいくナレーションではあったのだけれども、感情が見えすぎてしまうのが気になってしまって。むしろ感情を消した方が、観る人の情動を揺り動かすのではないかと思い、あえて字幕にしたんですよね。
『害虫』の時は、先ほど言ったシュトロハイム的な字幕の使い方が念頭にあったわけじゃないのだけれども、字幕の面白さを発見したのはあの時ではありましたね」
―――なるほど。黒画面ではなく、実景カットに文字を書き込む演出をおやりになったのは『さよならくちびる』からでしょうか?
「そうですね。あれは、文字が入ることで世界の見え方が変わってくるということだよね。カメラは客観的に人物を映しているのだけど、画面に文字が書き込まれることで、特定の人物の内面が突然世界の中に割り込んでくる。
三人一緒の車の中で、門脇麦さん演じるハルが考えているメモの内容が突然文字として映し出されると、メモに書かれた言葉の意味だけではなくて、それぞれが三人別々に物事を考えている、『一緒にいるけれど、意識は別々』という距離感みたいなものが出てくるのが面白かったですね」
―――先ほども申し上げましたが、言葉によって世界の見え方が変わるというモチーフは、『春画先生』にも見られますね。私は二度拝見させていただいたのですが、一度目は春画に夢中になっている弓子が芳賀に夢中になる契機に気付けなかったのですが、二度観ることで、春画の見え方を変えてしまう芳賀の言葉が弓子に向けられることで、彼女の内面が変化していく過程に気付きました。両者が惹かれ合う過程を描くにあたり、どのような点を意識されましたか?
「基本的にはコメディなので、キャラクターの内面を完璧に筋の通ったものにするというのではなく、『こうなったら可笑しいな』という方向に登場人物が動いていく。そのような考え方でシナリオを作っていきました。
だから、なぜ弓子が芳賀先生を好きになったかっていうと、よく分からないと言えばよく分からないんですよね。でも弓子の頭の中には『こういう思わぬ出会いをしたら、恋の話が始まるに違いない』っていう思い込みが多分ある。
ところが案外そうはならなくて、弓子さんが先走ってはガッカリする。そうするうちに気付いたら本当に惚れてしまっているという、高等テクニックなんです。
しかし、そうした作劇上の狙いはともかく、そこに理屈を付けるとしたら、一枚の春画に関して先生が語る言葉があって、その言葉に導かれて春画の見え方が180°変わってしまう。一見、性器を露出した単なる下品な絵のように見えるけど、実際には繊細で多様な描写がなされた世界なのだということがわかってくる。
芳賀の言葉の導きによって、物事の見え方が変わってきちゃうという経験がご指摘通り決定的なんですよね。そういう決定的な体験をもたらしてくれる人に、つい惚れてしまったっていう話だと思うんです。そういうことは、男女限らず、結構現実にあるような気がします。『この人の語る言葉は凄いな』っていう人に出会った途端、その人を好きになってしまう。恋愛感情に限らずにね」