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西島秀俊の右目と左目に注目~配役の魅力~

主役の家福を演じるのは、1971年生まれの西島秀俊。1994年に銀幕デビューして以降、北野武、黒沢清、諏訪敦彦と日本を代表する映画作家の作品に立て続けに出演。本作では、妻を亡くした舞台演出家の男を見事に演じ、日本アカデミー賞をはじめ、国内の映画賞を席巻。押しも押されぬ代表作の一本となった。

恵まれた肉体を活かし、アクション映画への出演も多い俳優だが、本作では車の中や芝居のリハーサル室がメインの舞台であり、座席に腰をかけ、身体的なアクションではなく、言葉で他者に働きかける演技が印象に残る。また、出番が終わった直後に鏡の前に座り、疲れた表情でメイクを落とすシーンや、みさきの前で泣き崩れるクライマックスなど、老いや弱さをさらけ出す芝居も説得力に満ちている。

家福が涙を流すシーンでは、よく観ないとわからない、細かい仕掛けがなされている。その鍵を握るのは、序盤の車両事故のシーンである。海外での仕事を終えた家福は車で帰途につくが、出し抜けに対向車と衝突。検査の結果、左目に緑内障を患っていることがわかると、症状の進行を抑えるために点眼薬を処方されるのだが、これはのちの展開に影響を与えることはなく、家福の目のトラブルは物語に関わってくることはない。

ではなぜ、わざわざ事故のシーンが序盤に用意されているのか。事故のすぐ後に、家福は妻の浮気現場を目撃することから、夫婦の関係に生じる歪みを予兆させるシーンにはなっているだろう。思い返せば、濱口竜介の前作『寝ても覚めても』でも、ヒロインと恋人が音信不通になる前に、バイク事故を起こすシーンが象徴的な形で描かれていた。

しかし、それに加えて重要なのは、家福が妻の浮気を目撃した直後、医師から処方された点眼薬を患部である“左目”にさし、左の頬に水滴が流れる描写である。妻の浮気を受け入れられず、泣くことができない家福は、不慣れな役者が撮影現場でするように、目薬をさして、偽りの涙を流すのだ。

このシーンは終盤の雪景色を背景にしたみさきとの対話シーンに深く関係している。家福はみさきの前で、「音の不倫を見過ごさず、しっかりと向き合うべきだった」と涙を流す。注目すべきは、西島秀俊の“右目”から大粒の涙がこぼれるという点だ。

かつて左目から偽りの涙を流し、“泣けない悲しさ”に打ちひしがれた家福は、クライマックスに至ると本心をさらけ出し、真実の涙を右目から流す。序盤の事故のシーンは、主人公・家福の内面の変化を視覚的に表現するための、呼び水となっているのだ。

みさき役の三浦透子は、2019年に新海誠監督によるアニメーション映画『天気の子』の主題歌を担当したことから注目を集めた、役柄と同じ北海道出身の女優。左頬に傷をもつ、寡黙なドライバー役に抜擢され、言葉で人を動かす家福とは対照的に、多くを語らず他者に寄り添う役柄を繊細に演じている。

左から音役の霧島れいか、みさき役の三浦透子、ジャニス役のソニア・ユアン
左から音役の霧島れいか、みさき役の三浦透子、ジャニス役のソニア・ユアン【Getty Images】

役者としての才能に恵まれながら、時に暴力衝動に駆られるなど、無軌道な一面を持つ高槻を演じたのは、岡田将生。夜の車内で家福と向かい合い、かつて音から聞いたという不思議な物語を語り続けるシーンは、静かな迫力に満ちた名シーンである。涙で潤んだ瞳でカメラをじっと見つめ、「他人の心の中を覗き込むことの難しさ」を語る演技は、誠実さとミステリアスな雰囲気が合わさった、形容しがたい魅力を放っている。

家福の妻・音に扮したのは、女優の霧島れいか。2005年には内田けんじ監督『運命じゃない人』でヒロインを演じ、カンヌ国際映画祭に参加している。序盤で命を落とし、中盤以降は登場しないが、テープに吹き込まれた独特の声は終始主人公・家福にまとわりつき、作品全体をミステリアスな雰囲気で包む。

メインキャスト以外にも、舞台「ワーニャ叔父さん」の国際色豊かなキャスト陣、演劇祭のスタッフなど、有名無名問わず、出演者一人ひとりが唯一無二の輝きを放っている。多様性に富んだ作品として称揚されることの多い『ドライブ・マイ・カー』だが、登場するすべてのキャストを魅力的に描いているという点でも、目覚ましい成功を収めている。

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