「何でみんな普段はこんなにハキハキ喋らないのに、お芝居になったら変わるんだろう」
デビュー作の現場で痛感した芝居の難しさ
―――当時、受けた演出で、その後の役者人生に影響を与えたものはありますか?
「『桐島』には僕の他にも、鈴木伸之君とか、山本美月さんなど、演技経験の少ない人が多くて、オーディションの前からワークショップをやってくれていました。吉田監督ではなくて、スタッフの方が仕切ってくれていたのですが、その方の演技指導は『それやっちゃダメだ。こうあるべきだ』っていう原理原則が凄く強かった。
鮮明に覚えているのが、僕とノブ(鈴木伸之)がバレー部の設定でエチュード(即興劇)をやることになった時に言われた言葉です。『今日あったこととかを学生の気分になって喋ってみて』と言われて、その時、靴紐が緩かったので、それを結びながら喋ってみたんです。そしたらカット。『なんで靴紐を触ってるんだ。それに意味が出るだろう。そんなことしちゃダメだ』と。
余計なことはしないで棒立ちになってセリフを喋る。まずはそれに一生懸命取り組め、みたいな。結局、この時に『NO』をいっぱい言われた経験が、その後の数年間、間違いなく俳優をやる上で負荷になっていた部分があったと思います」
―――そんな舞台裏があったのですね。
「ただ僕も跳ねっ返り者だったので鵜呑みにはしませんでした。『桐島』では、オーディションの時からハキハキ喋る子たちを横目で見て、『何でみんな普段はこんなにハキハキ喋らないのに、お芝居になったら変わるんだろう』と思っていたんです。だから自分はハキハキ喋らないやつで通そうと思って、現場ではだらーっと喋っていたんです。
そうしたらある時、オッケーが出て『まあ、こんなもんでしょ。ちょろいでしょ』と思っていたら、スクリプター(記録)さんが走ってきて、『さっきダラダラ喋ってる時に、このタイミングでポケットに手を入れていたから、カメラの位置が変わってもちゃんと動きが繋がるようにしてね』って言われて。『マジ!? そんなこと俺やってたの?』っていう(笑)。当時はそういう基礎すら知らなかった」
―――自然なお芝居といっても、映画を成立させるためには、繋がりをしっかりと考えて演じなければいけない。
「そうそう。学生の頃から国際映画祭で賞を獲るような、ちゃんとお芝居の出来る人たちが物凄くナチュラルなお芝居に徹している作品をよく見ていたので、自分にもそれが出来るって頭でっかちに思っていたんですよね。基礎も知らないのに。それから事務所に入って、演技っていうのはかくも大変なものなのかっていうことを痛感するわけです」
―――最初スクリーンでご自身のお芝居をご覧になった時、どういう印象を持ちましたか?
「もうずっと嫌でした。こんなに出来てないのかと。今でこそ思うんですけど、吉田大八監督はしっかり僕の芝居をコントロールしていて、こういう風に動けばそう見えるよっていう演出をしてくださっていた。それもあって、映画を観た人からは、モラトリアムな“宏樹”に見えたよって言ってもらえたんですけど、僕自身は全然できてない、役になれてないって反省しかなくて。
吉田監督の『パーマネント野ばら』(2010)の菅野美穂さん、『紙の月』(2014)の宮沢りえさんや池松壮亮君の演技を観ると、脚本に書かれている言葉を自分のものにして喋っているのがわかります。でも、当時の僕はそれができていなかった。『桐島』で日本アカデミー賞の新人俳優賞をいただいたものの、どうしたらこういう人たちのようなお芝居ができるようになるんだろうってすごく考えましたね」
―――なるほど。一方で、映画には残酷な面もあると思っていまして。演じている本人がどう立ち振る舞ったらいいのかわからないという部分もカメラは逃さず捉える。役者自身がコントロールできない部分も映画にとって必要不可欠なパーツの一部になる。いつ観ても新鮮な感情をもたらしてくれる映画にはそうした側面もありますよね。
「今のお話を聞いて『桐島』のきつかった日々に俳優の前野朋哉さんと交わした会話を思い出しました。前野さんは僕の2個上。現場で前野さんに『2週間撮影したけど、出来ている気がしなくて、どうすればいいんでしょう。迷惑かけてないでしょうか?』って言ったら、『その心配とか葛藤みたいなものを含めて、宏樹だって吉田監督は思ってるんじゃない?』って言われたんです。『マジ、そんな世界あるの!?』って。『みんな凄いなぁ』って思いましたね」