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「完全に自分のアイデンティティが失われた」
台本が毎日変わった『クローズEXPLODE』の現場

写真:宮城夏子
写真宮城夏子

―――『桐島』のあと、豊田利晃監督の『クローズEXPLODE』(2014)で映画初主演を務められました。当時はどんなことを思ってお芝居をされていましたか?

「『桐島』以降、映画監督ってこれほどまでに各々言うことが違うのかって、色んな現場で思い知ることになりました。『クローズEXPLODE』(2014)の現場では、毎日セリフが変わったんです。差し込みで。『桐島』の時は『台本を読んで、原作を読んで、プロフィール帳を作ってこい』って例のスタッフさんに言われて、家族構成などを紙一枚に書いて渡したら、『普通ノート一冊書けるものだ。それくらい妄想を膨らませて、自分のバックボーンを確固たるものにしてこい。それが役者の仕事だ』って言われました。

僕は跳ねっ返り者だけど、一方で不器用に人を信じる部分もあるから、その時は『分かりました』って。それが役作りだと思って『クローズEXPLODE』の現場に行ったら、台本が毎日変わる…完全に自分のアイデンティティが失われるわけです。

元々僕は『青い春』(2002)や『ナイン・ソウルズ』(2005)で描かれていた豊田監督の鬱屈とした世界観が大好きで、作品に参加するのを楽しみにしていたんですけど、ここでは書けないようなゴタゴタもあって…。

『どうすればいいんだろう』と日々悶々とした気持ちで撮影に臨んでいたんですけど、最終日に共演者のみんなが好き勝手やっていて、僕も好き勝手にセリフを言ってみたら、一発でオッケーが出たんです。それで豊田監督に『セリフってなんですか?』って聞いたら『自分の中から出てくる言葉だ』っておっしゃって。『え、マジ!?』って(笑)」

―――『桐島』の時と全然違いますね(笑)。

「そう。その後に、『桐島』のパブリシティで高知県に行く機会があって、久しぶりに吉田大八監督と会ったんです。それでご飯を食べている時に、『クローズの現場、大変でした。もう一回、もう一回って言われ続け、ちゃんとお芝居出来てんのかよくわかんなくなりました』って言ったら、吉田監督が小津安二郎と溝口健二の話をしてくれて」

―――ほう。

「吉田監督いわく『小津って言うのは、トボトボ歩く老人の背中を撮るにしたって、足元に障害物を置けばバストアップの引き画だったら、それでいい。感情は映らない』と。一方で『豊田監督は多分溝口タイプなんでしょう』と。当時の僕は『はて?溝口?』みたいな。『溝口健二っていう人がいて、この人は、何十テイクもやらせて、役者がよく分からないって状態になった時に発する気迫をフィルムに記録しようとする』と。

だから、振り返ってみると、先にお話しした『桐島』のスタッフの方も、もしかしたら吉田監督の演出スタイルを鑑みて、何回も同じ演技ができない役者が、好き勝手、動物的に芝居をするのは作品にとってマイナスに働くと思い『これはダメ。これは良い』と口うるさく僕らに言っていたのかもしれません」

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