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生き残ってしまったことの罪悪感と向き合う

映画『ゴジラ-1.0』主演の神木隆之介(東京国際映画祭)
映画ゴジラ 10主演の神木隆之介東京国際映画祭Getty Images

神木隆之介演じる主人公敷島は、「生きていていいのか」と自問自答を繰り返しながら生きている人物である。敷島は特攻隊として死ぬ運命だったが、「生きたい」という強い欲求により、死ぬ運命を免れた男である。

しかし戦時中であれば、敷島を臆病呼ばわりした橘や澄子のように生きることを「恥知らず」として考える人物もいる。

また敷島はゴジラを機銃で撃てなかったことにより、橘の仲間である整備士たちを見殺しにしてしまったという罪を背負っている。整備士たちには帰る場所があり、そして家族もいた。

しかし敷島の決断が彼らの幸せや人生を奪い去ってしまったのである。もちろん敷島が悪いわけではなく、人間であれば「生きたい」と願うことは当然のことであり、同時に権利でもある。

しかし敷島は「生きていていいのか」と自問自答し、苦しい日々を過ごしている。そんな敷島の人生に一筋の光を差したのが典子やアキコの存在である。

彼女たちと一緒に人生を過ごすことにより、敷島は人間らしい生活、つまり幸せに満ちた生活を送ることが出来たのである。しかしそんな幸せもゴジラの登場により、脆くも崩れ去っていく。

そんなゴジラに対する憎しみや復讐心を糧に、ゴジラに立ち向かう敷島だが、その根底にあるのは贖罪である。

ゴジラを倒すことで、生き残ってしまった罪悪感を拭い去ることが出来る、そして見殺しにしてしまった整備士たちへ顔向けが出来ると考えたのであろう。そしてゴジラを倒すことにより、敷島の中での戦争を終わらせ、典子やアキコと共に幸せな人生を歩むことが出来る、と考えたのである。

(文・にゃんこ)

【作品概要】
監督・脚本・VFX:山崎貴
神木隆之介 浜辺美波
青木崇高、山田裕貴、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
配給:東宝
©2023 TOHO CO., LTD.
2023年製作/125分/G/日本
公式サイト

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