“天災”の庵野ゴジラと”戦争”の山崎ゴジラ
鍵を握るのは岡本喜八の反戦映画
すでに方々で考察がなされているが、本作は庵野秀明の『シン・ゴジラ』のカウンターとして制作されており、両者は補完関係にある。
最も特徴的なのは、ゴジラに対抗する勢力だろう。『シン・ゴジラ』は政府主導でゴジラに対抗するが、本作では政府への不信感もあり、あくまで民間有志の主導によりゴジラに対抗する。つまり、『シン・ゴジラ』が「お役所仕事」を描いた作品ならば、本作は「町工場の職人仕事」を描いた作品なのだ。
また、映像表現の違いも大きな特徴だ。『シン・ゴジラ』の場合は、シンプルなカットを特撮的に繋いでいくことで物語を展開するのに対し、本作の場合は、VFXで作り込んだショットをしっかりと見せている(映画理論的には、前者がフォーマリズム、後者がリアリズム)。
なお、本作の戦闘シーンでは、緩急をつけたカットつなぎが散見される。例えば、「ワダツミ作戦」のシーンでは、ゴジラが口から火球を出す様子を比較的近距離で写した後、爆発を船の操舵室の中からガラス越しのロングショットで映す。
また、敷島が震電に乗り、ゴジラを誘導するシーンでは、ゴジラの口に迫る震電を比較的アップで映し、ゴジラにぶつかる寸前でふっと海のロングショットを挟み込んだりする。こういった観客の気持ちを揺さぶる演出は、まさに観客の情に訴えかける山崎ならではの演出であり、庵野の作品にはあまり見られないものだ。
庵野と山崎。両者のゴジラ像を比較する上で鍵となるのが名匠・岡本喜八だ。
太平洋戦争に従軍した経験を持つ岡本は、1967年に、日本の政治家たちの戦後処理を描いた『日本のいちばん長い日』を発表しており、庵野自身も公言しているように、本作は『シン・ゴジラ』のベースとなっている。
そんな岡本が、翌1968年に発表したのが、特攻隊員の青春を描いた『肉弾』だ。山崎自身は公言していないものの、『シン・ゴジラ』と『ゴジラ−1.0』の間に、岡本の影響を見てとるのは間違いではないだろう。
つまり、『シン・ゴジラ』と『ゴジラ−1.0』は、ゴジラという厄災を、それぞれマクロとミクロの視点から描いた作品といえるだろう。