観客の無意識に訴えかける幽霊描写〜映像の魅力
本作の映像の特徴は、観客が幽霊の存在を見落としてしまう可能性があることだろう。
例えば、先に挙げた過去の映画のシーンでは、幽霊は人物の背後にちらつくにとどまっており、村井らが撮影した渡り廊下のシーンでも、歩く女優の背後に見切れる幽霊ははじめ、残像やシミにしか見えない。
あるいはラストシーン。行方不明になった村井の家を訪れた女優のひとみは、洗面台に向かって「どこに行ったんだろうね」とつぶやく。このとき、鏡に映った彼女の背後に幽霊が登場するのだが、画面のほとんどを彼女の顔が占め、幽霊はその隙間からちらりと見える程度。よほど注意して見ていないと気づかない。
本作の脚本を務める高橋は、最も黒沢清や鶴田法男の対談の中で、次のように語っている。
幽霊を演じるのは、しょせん生身の人間ですよね。でも映画が面白いのは、本当は人間でしかないものを人間ならざるものに見せることができる。それにはどうすればいいのか。ただ単に人間を立たせただけでも、この立ち位置だと人間には見えない、そういう位置があるんです。
1980年代、スプラッター映画全盛の時代に、「本当に怖いものとは何か」を日夜追求していた高橋らは、「幽霊が何もせずに立っているのが一番怖い」という答えに行きついたという。この演出は、その後、1990年代以降にジャパニーズ・ホラー特有の幽霊描写として字花開くことになる。
あからさまではなく、あくまでもさりげなく違和感を積み重ね、観客の無意識に働きかける。『リング』などの後のジャパニーズ・ホラーにも通ずる幽霊描写が、本作の映像から垣間見える。