世界の見え方が変わる? 春画と映画の運命を重ねる…異色の性愛コメディ『春画先生』徹底考察。忖度なしガチレビュー
日本映画史上初、無修正での浮世絵春画描写が実現した異色の偏愛コメディ映画『春画先生』が全国の映画館で公開中だ。監督を務めたのは、『黄泉がえり』(2004)『さよならくちびる』(2019)の塩田明彦。今回は、本作の魅力に迫るレビューをお届けする。(文・冨塚亮平)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】
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【著者プロフィール】
アメリカ文学/文化研究。神奈川大学外国語学部助教。ユリイカ、キネマ旬報、図書新聞、新潮、精神看護、ジャーロ、フィルカル、三田評論、「ケリー・ライカートの映画たち漂流のアメリカ」プログラムなどに寄稿。近著に共編著『ドライブ・マイ・カー』論』(慶應大学出版会)、共著『アメリカ文学と大統領 文学史と文化史』(南雲堂)、『ダルデンヌ兄弟 社会をまなざす映画作家』(neoneo編集室)。
「なにが見えますか?」
春画先生の問いかけが押し開く豊かな世界
「なにが見えますか?」妻に先立たれ、古い一軒家でお手伝いさんの女性(白川和子)と暮らしながら孤独に春画を研究する男、芳賀一郎(内野聖陽)は、意を決して自宅を訪ねてきた若い女性春野弓子(北香那)に、すぐさま一枚の貴重な春画を見せながらそう問いかける。
そもそも春画とはなにか。そう問われれば、おそらくほとんどの者が、江戸時代に流行した人間の性的な交わりを描いた絵画だと答えるだろう。そうした春画でまず否応なく見る者の目に入るのは、一切の修正抜きに、あるいはむしろ現実よりも誇張された形ではっきりと描かれる、性器と交わりの描写であるはずだ。
だが、周囲から春画先生と呼ばれる、変人で優秀な独立研究者でもある一郎が求める答えは全く異なる。戸惑う弓子に対し彼は、文鎮で性器を描いた箇所を見えないように隠した上で、改めて同じ質問を投げかけるのだ。
では、性器や性描写にとらわれず、改めて一枚の春画に何が描かれているのかを虚心に見つめ直したとき、そこで見えてくるものとはなんなのか。
一郎は、男女の指先への力の入り具合にまで至る身体の細やかな描き方や、彼女たちが纏う着物の色彩や皺の表現の豊かさを称え、さらには、一見絵のなかに見事に書き込まれているように見える雪が、円山応挙の作品を思わせる形で、実はその周囲に絵筆を入れることで残された余白によって描き出されていたという驚くべき事実を明らかにする。