「お母さんから見た達郎はどう見えるか」
達郎の背中を映したカットについて
―――主役の一人、達郎を演じた鈴鹿央士さんは、普段テレビで拝見するイメージとは違い、どこかニヒルで神経質なキャラクターを好演されています。鈴鹿さんとはどのようなやり取りをなさって、達郎というキャラクターを作り上げていきましたか?
「達郎は人を人と思ってないっていうか、人間が人間に見えてない。それが、仲間との出会いによってちょっとずつ変わっていく、というお話がメインの筋の一つとしてあります。
達郎はちょっとサイコパスっぽいところもあって、本当に危ない雰囲気の人が演じると多分、目も当てられない。ということで、今、日本で1番優しくて可愛い鈴鹿君にやってもらえたらいいなと思ったんです。とはいえ、最初は『大丈夫かな』と心配したのですけど、結果、凄く上手くいったと思います」
―――現場で鈴鹿さんのお芝居をご覧になって、「これだったら大丈夫だ」と思われたターニングポイントや、印象的だったことはありますか?
「今回は順撮りではなく、最初の怖い達郎、仲間ができて柔和になった達郎と、ランダムな順番で撮っていきました。凄く良いなと思ったのは、初めて仲間ができるシーンで、感情の表出をできるだけ抑えて、共演者にチラっと目線をやるくらいのお芝居をしたんですね。
『仲間だぜ』って大袈裟にやることもできるけど、そうはせずに、今まで見えてなかった達郎の新たな一面をチラッと垣間見せるような演技をしていて。凄く良かったです」
―――今回、達郎に限らず、パソコンと向き合う人物を正面から映したカットが印象的ですが、達郎に関しては、背中のイメージが強く印象に残ります。自室でパソコンに向き合う彼は母親に背を向け、授業中に1人だけ黒板に背を向ける。終盤の重要なシーンでも仲間たちに背を向けるアクションがありますね。
「それは無意識の部分が大きいですね。ただ母親から見ると…。達郎のモデルになった子がいて、その子に『いつもどこでゲームしてるの?』って聞いたら『居間』って答えたんですよ。『え、自分の部屋ないの?』『いや、ありますけど、母さんにパソコンを居間に引っ張り出されました』と。
その言葉が凄く印象に残って。“お母さんから見た達郎はどう見えるか”って考えると、きっとああいう風な背中だろうし、それは撮りたいなって思った。だから引きの画に映る背中を印象的に撮っていたんだと思います」
―――達郎の主観だけの世界ではなく、彼が周りからどう見えているか。背中のカットで達郎の人物像が立体的に伝わると思いました。ちなみに、背中を向けた人物に声をかけたり、見つめるというイメージが古厩監督の映画では多く出てきます。
『のぼる小寺さん』では、工藤遥さん演じるヒロインが壁を登っていく後姿を伊藤健太郎さん扮する青年がじっと見つめる。『さよならみどりちゃん』(2005)では、星野真里さんが西島秀俊さんの裸の背中に向かって思いを吐露する。駅伝競走をテーマにした『奈緒子』(2008)もある意味、背中の映画です。
「正面で向かい合うよりも、背を向ける方がほっとするからなんでしょうね。心の中で素晴らしいなって思うものを見つめる時、こっちを見ないでほしいという気持ち、わかりませんか? 好きな女の子にこっち向かれると、焦っちゃうじゃないですか。だから『のぼる小寺さん』の伊藤健太郎も、小寺さんが背中を向いているから見つめられるっていうのもあるだろうし」
―――フェイス・トゥー・フェイスだと、見つめる方も作った顔になってしまう…。
「そうそう。でも背中だと作らない。見られてないから。その辺は結構意識的かもしれない。例えば、映画を観ている時って、真っ暗で誰にも見られてないから安心して素晴らしいものを見つめていられるじゃないですか。
そういう意気地のないところが僕にはあるんですよね。素敵な女性だなって思っても、背中を向いていてくれるから見られるっていう。そういうところが映画に出ちゃっているのだと思います」