過去の三宅映画でも重要な役割を果たしてきたトンネル
映画の冒頭、バス停横のベンチに崩れ落ちるように横たわってしまう藤沢さんは、定期的に襲ってくるPMS(月経前症候群)の発作に苦しんでいる。発作で感情の制御がきかなくなってしまったことをきっかけに彼女は、新卒で就職した会社をすぐに退職してしまう。五年後、転職した彼女は子ども用の科学製品やプラネタリウムを扱う小さな会社、栗田科学で働いている。
一見すると、今度の会社では周囲ともうまくいっているように見える彼女だが、差し入れを断られてしまうなど、彼女よりも後に入社した山添くんとはぎくしゃくした関係が続いている。どうやら彼はパニック障害になったことを契機に前職を辞め、栗田科学へと移ってきたようだ。そんななか、ある日藤沢さんは、会社で発作を起こしそうになり早退することとなった山添くんに付き添うよう指示を受け、彼よりもやや遅れて会社を出る。
山添くんは付き添いを拒むが、それでも藤沢さんはやや後ろからついていく。この時点では縦関係を形成する二人のリズムはまだバラバラのままだ。やがて、『Playback』(2012)など過去の三宅映画でも重要な役割を果たしてきたトンネルにたどり着くと、改めて山添くんは付き添いを断り、画面奥に向かって一人きりで歩みを進めていく。昼下がりの周囲の風景と明白な対照をなすトンネルの暗さと狭さは、彼の苦しみが彼固有のものであり、他人と簡単に共有できるものではないことを強く印象づける。彼と藤沢さんのしんどさは異なる。パニック障害はPMSではない。
安易な共感を拒む山添くんにとって、彼と真摯に正面から「向き合おう」とする周囲の姿勢は、かえって彼の苦しみを深める結果を招いてしまうようにも見える。パートナーの千尋や定期的に診断を受けている医師(内田慈)、前職の上司でどうやら転職を斡旋してもくれたらしい憲彦(渋川清彦)は、それぞれ誠実に、懸命に山添くんと向き合おうとする。
しかし、自分を心配する彼女たちに対して弱音を吐くことのできない山添くんは、その場を取り繕うような無難な言葉を返すことしかできない。千尋とともに暴露療法にチャレンジし、電車と向き合おうと試みるも、やはりホームにやってきた車両に乗り込むことはできない。
そんな山添くんの姿勢は、見方によっては過剰なおせっかいにも映る藤沢さんの気遣いによって、少しずつ変わりはじめる。彼が一人で髪を切ろうとしていたタイミングで部屋を訪れた藤沢さんは、代わりに自分が髪を切ることを申し出る。結局家に上がり込んだ藤沢さんは、山添くんの左側から彼の髪に鋏を入れるのだが、そこで思わず声をあげてしまう。髪を切りすぎたのだ。スマホで事態を確認した山添くんは、それまでのどこか緊張を感じさせる声とは全く異なる、リラックスした声で大きく笑う。