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トリックスターとしての桑畑三十郎―脚本の魅力

監督・黒澤明(左)、主演・三船敏郎(右)【Getty Images】
監督黒澤明左主演三船敏郎右Getty Images

黒澤は本作について次のように述べている。

『用心棒』はむしろある意味では喜劇です。だいたいこんなばかな話はない。(…)ともかくある意味でメチャクチャなんだ。ドラマだって、分析していったら穴だらけでしょう。それをただ一気に、おもしろがらせておしまいまで見せてしまう。(『黒澤明、自作を語る』より)

とはいえ、ただ単に「穴だらけ」のドラマであれば到底ウェルメイドな喜劇とは呼べないだろう。では、なぜ本作は喜劇たりうるのか。その秘密を解くカギは主人公の桑畑三十郎にある。

あらすじからも分かるように本作では、無敵の浪人である桑畑が突然とある宿場町を訪れ、街中を引っ掻き回す様子が描かれている。

この物語からとある映画を連想する人も多いことだろう。そう、『男はつらいよ』だ。山田洋次監督によるこの人情喜劇映画では、渥美清演じるテキ屋稼業の寅さん(車寅次郎)がふらっと柴又に戻ってきては騒動を巻き起こす。

桑畑三十郎と寅さん。この両者に共通するのは、2人とも場に縛られていない「さすらい」であるということだ。つまり、2人は日常を異化して非日常を持ち込む「トリックスター」なのだ(『ONE PIECE』に登場するモンキー・D・ルフィになぞらえることもできるかもしれない)。

ただ、桑畑と寅さんでは、1点だけ異なる点がある。それは、「強さ」だ。

先述の通り、三十郎はとにかくやたらめったら腕が立ち、剣術ではだれにも負けない。本作では、そんな三十郎の視点を軸に描かれている。私たち観客は三十郎の視点から安全な立場で物語を体験するからこそ、三十郎よりも弱い悪党たちが全員コメディリリーフに見えるのだ。

そういう意味で印象的なのが、冒頭のやくざの抗争のシーンだろう。清兵衛一家と丑寅との抗争を焚きつけた三十郎は颯爽と高見櫓にのぼり、にらみ合う両者を見物する。その様子はまるで三十郎自身が観客である私たちに抗争を見せつけているようにも思える。三十郎は主人公であるとともに物語の観客でもあるのだ。

なお、本作の脚本は、ダシール・ハメットによる探偵小説『血の収穫』をもとに黒澤と菊島隆三が執筆したもの。この小説はその後『ミラーズ・クロッシング』(1990)や『ラストマン・スタンディング』など、数多くの映画の原作になっている。

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