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映画の外側にある人生~脚本の魅力

サルバトーレ・カシオ(左)とフィリップ・ノワレ(右)(第42回 カンヌ国際映画祭より)
サルバトーレカシオ左とフィリップノワレ右第42回 カンヌ国際映画祭よりGetty Images

本作が名作たるゆえんは、「映画」のみならず、映画を通して「人生」を描いている点にあるだろう。

子どもの頃から映画館の中で暮らし映画と共に生きてきたトト。その人生は、多くの映画の主人公さながらにどこかドラマティックで浮世離れしていた。例えば野外上映のシーン。夏の間エレナと離れ離れになってしまったトトが、エレナに会いたい一心から「映画ならフェイドアウトして嵐が来れば夏が終わる」などとつぶやくと、いきなり雨が降ってくる。すると、エレナが雨の中現れ、トトにキスをする―。

このシーンは、端的にトトが映画の中の世界を生きていることを示している。

そんなトトだが、青年になると徴兵され、ローマという“映画の外部”を目の当たりにすることになる。除隊後、映画館を訪れたトトには既に居場所がなくなっており、エレナとも音信不通になっていた。落ち込むトトにアルフレードが次のような言葉をかけ、再びローマに戻るよう促す。

―人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと厳しいものだ。

思えば、トトの父も、戦争で村の外へと出兵し、そこで命を落とした。人生は決して映写室の「窓」からのぞき見るものではなく、もっと主体的なものである。なお、これまで映画という幻影を見ていたアルフレードが、光を失うことではじめて“映画の外部”の大切さを知るというのもなんとも皮肉である。

さて、「窓」といえば、本作のオープニングにも触れないわけにはいかないだろう。開け放たれたベランダの窓。その手前には植木鉢が置かれ、向こう側にはシチリアの海が広がっている。光をたたえたその海は、残酷なほど美しい。

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