作品からにじみ出るヴィルヌーブの作家性〜脚本の魅力
ヴィルヌーブの脚本に触れる前に、なぜ原作が映像化不可能と言われているのかについて考えなければならない。
答えは単純である。それは「とにかく長い」ということ。原作小説は全6巻(日本版は全4巻)に分けられており、そもそも全ての物語を2時間の尺におさめることなど到底無理な話なのである(現に2000年にはSF専門のCATV局のテレビドラマとして全6話で映像化され、そこそこの成功をおさめている)。
実写版のDUNEの面白さは、この長大かつ壮大な物語を監督たちが自由に脚色している点にあるだろう。例えば制作予定だったホドロフスキー版では、オーソン・ウェルズやサルバドール・ダリといった豪華キャストのもと宗教的な開放を目指したものになっており、デヴィッド・リンチ版では彼らしいマニアックさや造形のグロテスクさにフォーカスされている。
では、本作に見られるヴィルヌーブらしさとは一体何か。それは、余計な部分を削ぎ落とし、主人公ポール・アトレイデスの試練と成長に焦点が当てられている点だろう。
現に本作では、ポールたちに敵対するハリコンネン家の描写は最低限に抑えられ、「皇帝」に至っては一度も出てきていない。むしろ本作では、焦点を極端に絞ることで複雑怪奇な原作をわかりやすく表現することに成功しているのである(ちなみに続編は2023年に公開予定)。また、現実世界の社会問題が複数取り入れられている点にも注目したい。例えば、砂の惑星・アラキスでは「メランジ」と呼ばれる香料が採掘される。
この香料は抗老化作用や意識を拡張させる効能があるほか宇宙航海にも使われ、貴重な資源として扱われている。勘のいい人ならお気づきかもしれないが、これはいわば石油のメタファーであり、「メランジ」をめぐる国家間紛争は、そのまま現実世界の利権争いになぞらえることができる。これまで『静かなる叫び』(2010年)や『灼熱の魂』(2010年)など、社会問題を扱った作品も数多く手掛けてきたヴィルヌーヴ。彼の作家性が、本作に重みを与えているのである。