ザ・マスター 脚本の魅力
PTAが本作を着想したきっかけは、『マグノリア』(1999)の出演者である、1922年生まれの名優・ジェイソン・ロバーツから聞かされた従軍経験にあるという。また、「ザ・コーズ」および教祖であるドッドのモデルは、実在する新興宗教「サイエントロジー」および創始者のロン・ハバードであることはつとに有名だ。
泥沼の戦いを強いられたベトナム戦争(1955〜1975)の闇を暴いた映画は枚挙にいとまがない一方、アメリカが輝かしい勝利を収めた第二次世界大戦のトラウマを描いた作品は決して多くはない。国家が最大の繁栄を享受しようとしている頃、復員兵である主人公・フレディは社会の暗部を一身に背負い、虚無的な日々を過ごしている。本作の時代設定には、アメリカの歴史および国家に対して常に鋭い眼差しを向ける、PTAならではの批評性が込められているのだ。
前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でダニエル・デイ・ルイスが演じた石油王も狂気的な人物であったが、本作の主人公・フレディ(ホアキン・フェニックス)の心の闇はそれ以上に深く、観客の理解を拒絶するほど複雑である。塗装用シンナー入りの自家製カクテルに酔いつぶれ、行く先々でトラブルを起こすフレディの異常性が、果たして戦争後遺症に起因するものなのか、それとも生来のものなのかすらも、説明的な描写が省かれているため判然としない。
本作のシナリオは主人公の苦悩に共感することができないという点で、一般的な娯楽映画のセオリーからすると、ロークオリティのそしりを受けかねないだろう。とはいえ、“戦争に起因するトラウマ体験”というデリケートなテーマを共感性の高いストーリーに落とし込むことは、本質的な部分をそぎ落とし、問題のうわべだけをもって観客を“わかった気にさせる”リスクがある。
その点、主人公の心の闇を観客がのぞきこめないほど深く描いたシナリオは、シリアスなテーマに誠実なアプローチを試みており、戦争の暗部を口当たりのいいスタイルで描いた凡百の映画に対する批判をなしてもいる、という見方もできるのだ。