ザ・マスター 配役の魅力
主役のフレディを演じるのは本作がPTA作品初出演となる、ホアキン・フェニックス。フレディは精神のバランスを崩しているのだが、原因となった戦争体験そのものの描写がないため、観る者はフレディに扮したホアキン・フェニックスの一挙手一投足にトラウマの影を見出すことになる。
フレディは脇腹に手を当てるクセを持っているが、それは戦場で負った傷跡をいたわる身振りのようであり、痛ましいイメージを否が応でも呼び覚ます。また、彫りの深いホアキン・フェニックスの顔は陰影に富んでおり、重要なシーンでは右目と左目が異なるメッセージを発しているように見える。
ラストシーンではドッドと最後の対話を交わし涙をみせるが、涙が流れるのは右目のみであり、左目は相手を突き刺すような眼差しを宿しているのだ。戦争体験によって本来の自己と偽りの自己が分裂した複雑なキャラクターを表現する精妙な仕掛けである。
フレディがかつての婚約者の女性を訪ねるシーンでも、ホアキン・フェニックスの身体的な特徴がキャラクターの見え方に強い影響を与えている。ホアキンの身長はアメリカの男性平均身長よリも低い173センチ。婚約者を演じたマディセン・ベイテはホアキンに匹敵する身長があり、彼女の横でこじんまりと佇むやせ細ったフレディのシルエットはいかにも弱く、頼り甲斐がない。また、作品全体を通じて女性の身体を象った巨大砂人形に抱きつくイメージが何度も登場し、フレディの男性的な弱さ、コンプレックスを際立たせている。
文字どおり全身で役になりきったホアキン・フェニックスと対峙するのは、新興宗教の教祖・ドッドを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンである。聴衆を前にして自信たっぷりな様子で非科学的な演説を打つ姿はペテン師のようであり、フレディと粘り強く対話を続け、心のドアをこじ開けていくサマはまっとうな精神分析医のようにも見える。
フレディがトラウマやコンプレックスからの救いを求める信仰者であるのに対し、シチュエーションによってまとう雰囲気がコロコロ変わるドッドは、表面をコントロールする術に長けた道化師である。
初めはドッドの従順な信者であったフレディが、ドッドの化けの皮を剥ぐような言動をとり、2人しか理解できない関係を築いていく展開は、観る者に感じたことのないようなスリルをもたらす。観ればみるほど味わいを増すホアキン、ホフマン両者の芝居は、そろってヴェネツィア国際映画祭最優秀男優賞を獲得したのも納得の、傑出した出来栄えを示している。