爆風で吹き飛ぶ兵士…。たった1秒のカットに宿る狂気〜演出の魅力
映画『地獄の黙示録』は、アメリカ建国以来「唯一の敗戦」とも目されるベトナム戦争(1954~1975)を舞台にした戦争映画の金字塔であり、莫大な資金と期間を要して日の目を見た、史上屈指のカルト映画としても名高い作品である。ちなみに、原題の「Apocalypse Now」を直訳すると、「現在の黙示録」となる。
監督を務めたのは、巨匠、フランシス・フォード・コッポラ。すでに『ゴッドファーザー』(1972)、『ゴッドファーザー PART II』(1974)を成功に導き、ハリウッドにおける帝王の座を欲しいままにしていた彼が、監督・音楽・製作・脚本・出演の5役を務め、全身全霊で取り組んだのが本作である。
『ゴッドファーザー』シリーズで即興性を重視した演出を行ったコッポラは、本作でリアリティの追求をさらに推し進めることに。上空を引き裂くヘリコプターの隊列と爆風、ナパーム弾による絨毯爆撃、アマゾンの奥地に進むにつれ正気を失っていく兵士たちの表情…。画面の至るところにホンモノの凄味がほとばしっている。
撮影当時、戦争終結から間もなかったため、ベトナムをロケ地とすることは叶わず、フィリピンの熱帯雨林で撮影を敢行。コッポラの度を超えたホンモノ志向は、ロケ地であるフィリピンを第二のベトナムに変貌させるほど徹底したもの。
地上に着陸したヘリコプターが敵の手榴弾によって大破するシーンは、複数の視点から細切れのカットによって描写され、1秒にも満たない短いカットに、爆風で吹き飛ぶ兵士、火だるまになった人間がしっかりと映り込んでおり、その細部へのこだわりようは狂気すら感じさせる。
物語は、主人公・ウィラード大尉(マーティン・シーン)が、ベッドに横たわり戦地の幻影を見るところから幕を開ける。机にはアルコールの瓶が置かれており、酩酊する意識を表現するように、オーバーラップ※を駆使して、複数のカットが溶け合うような編集技法が採用されている。
※前後のカットを徐々に重ね合わせて後のカットへと以降していく手法のこと。
オーバーラップによる映像の重ね合わせはその後も多用される。終盤に至ると、酩酊する意識を表現するのみならず、ベトナムの奥地で帝国を築くカーツ大佐に接近するにつれて、徐々に彼の意識に侵食されていくウィラードの内面を効果的に表現している。
重要なのは、兵士たちの疲弊し切った表情、まとわりつくような湿気を体感させるジャングルの風景、経年劣化した小道具や衣裳など、画面を満たすすべての要素がホンモノで統一されているため、技法のみが浮き上がることなく、狂気じみた映画の世界観を説得力豊かに伝えているということだ。
コッポラが、映画的な技法を下支えするホンモノだけの世界の構築に邁進した結果、撮影は本作の物語をなぞるように混迷を極め、その様子は、制作過程を追ったドキュメンタリー『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(1991)で観ることができる。
ちなみに、本作には長さの異なる3つのバージョンがある。それぞれの特徴は下記の通りだ。
①劇場公開版(1979)
上映時間は153分。カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を獲得した。
②特別完全版(2001)
上映時間は202分。コッポラ自身の手によって再編集され、未公開シーンが追加された。戦地に慰問に訪れたプレイメイトたちが嵐で立ち往生しているところに主人公一行が遭遇し、燃料を渡す代わりに体を要求するシーン、旅の途中でフランス入植者の一家と遭遇するシーンなどが加わっている。
③ファイナルカット版(2020)
上映時間は182分。コッポラが三度フィルムにハサミを入れ、オリジナルより30分長く、特別完全版より20分短く仕上げたバージョン。特別完全版の追加シーンにおけるプレイメイトのシーンを全カットするなど、省略を加えて簡潔に仕上げられている。また、デジタル修復によって鮮明な画質となっている。
3つのバージョンともラストシーンはすべて一緒となっている。