「運命なんてブッつぶせ」
古典的な物語形式から外れた面白さ
無数の宇宙が交わることで、物語もさらに広がっていく…というよりも、本作は広がっていく物語自体を問い直す作品になっている。
劇中では、物語や、物語に関連する言葉が強調されている。たとえば、両親を交えた進路指導の場面。教師は、大学の志望動機を書くときは、マイルス自身の物語が重要だと説明する。
そして、教師は貧しい移民家庭の子という典型的なマイノリティの“物語”を書くようマイルスに勧める。しかし、マイルスの両親はこれを即座に否定。母親はプエルトリコ出身だと言い、父親は貧しくないと主張する。
ちなみに、プエルトリコはアメリカの自治領で、住民はアメリカ国籍を持つ。
また、それぞれのスパイダーマンは、各々の人生において、絶対に避けられない出来事、“カノンイベント”に直面するとされる。
一般的には、カノン(canon)は正典と訳し、ある宗教において信者が従うべき基準が書かれた文書を指す。加えて、聞き間違えでなければ、グウェンの父親は、規則に従うという意味のby the book という言葉を述べている。型通りに、定石通りにと訳されることもある言葉だ。
『スパイダーマン』の名前を冠した映画は、本作も含めて既に10本以上作られている。アニメ、ゲームなどのメディアでも映像化されている。コミックになると、途方もない数が出版されており、まさに無数の世界が広がっている。
私たちは、それらを通してバラエティ豊かなスパイダーマンたちに出会うことができるが、いくつもの物語を読むうちに、ストーリーの基準や型があることに気づくだろう。
なにもこれは『スパイダーマン』に限ったことではない。
たとえば、映画学の教科書を何か一つ読めば、英雄と家族、共同体にまつわる物語のパターンの説明があり、そうした古典的な英雄譚がいかに反復されてきたかがわかる。
もちろん、そうした本では、古典的な物語形式から外れた作品も紹介される。『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は、後者の映画だ。
自分にとって受け入れ難い典型的な物語、スパイダーマンたちのカノンを突きつけられたマイルスは、これを否定する。
「運命なんてブッつぶせ」という別の日本語版ポスターのコピーは、一見ありがちなフレーズではあるが、これまでの『スパイダーマン』の語り方、定石の問い直しを表してもいるのだろう。
今作は、前作を含めた『スパイダーマン』の物語を超えて、新たな一歩を踏み出す試みなのだ。