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人々の心に巣食う“美”への執着ー脚本の魅力

映画『アメリカン・ビューティー』
映画アメリカンビューティーGetty Images

本作の登場人物は皆、とある病に取り憑かれている。それは、美や強さへの極端な執着だ。最もわかりやすいのは、主人公のレスターだろう。娘の同級生であるキャロラインに欲情した彼は、アンジェラの「お気に入り」の強い男になるべく、唐突に身体を鍛え始める。また、レスターの妻のキャロラインは、レスターに愛想をつかし、不動産屋の社長との不倫に走る。どの人物も、いやらしいほどに美や力への欲望をむき出しにしている。

この権力欲を最も歪な形で表した人物が、フランク・フィッツ大佐だろう。同性愛者を毛嫌いし、ナチの陶器や銃器をコレクションする彼は、ある意味純粋な力の信奉者であるように思える。しかし、後半、思いがけない形で彼の内なる弱さが露呈し、物語上の点が線としてつながりはじめる。つまり、彼は、自らの内なる弱さを守るため、強い自分を演じていたのだ。

対照的にこういった欺瞞から比較的自由なのが、レスターの娘ディーンと、フィッツの息子リッキーだ。特に、ディーンの部屋をビデオカメラで覗いていたリッキーは最初、鳥の死体を撮影するとんだ「サイコ・ボーイ」(アンジェラ談)だった。しかし、ディーンが彼の人となりに共鳴し始めると、彼らが物語の中心になり、反対に周りの「普通な」人々の異常性が際立ってくる。このあたりの運びは実に見事だ。

見事といえば、本作のオープニングも忘れてはならない。ディーンとリッキーの「あんなパパ、死んだ方がマシ」「じゃあ、殺そうか?」というセリフの後で、レスターの「1年たたぬうちにぼくは死ぬことになる」というナレーションを入れる。物語の結末を初めに提示することで、「誰がレスターを殺すのか」が物語のフックとなる。

とはいえ、美への妄執に取り憑かれた登場人物は、決して特別なわけではない。好きな人に認められたくて見栄を張ってみたり、社会的地位の高い人に憧れたりといった経験は、誰しもあることだろう。つまり、美を追求する欲望は、すでに私たちの心の中に芽生えているのだ。条件さえ揃えば私たちも、レスターのように狂気に飲み込まれてしまうのかもしれない。

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