「いい人間になりたい」の真意ー脚本の魅力
あらすじからも分かるように、一言で言えば「ボーイミーツガール」ものだ。
主人公のギルバートは、過食症で外に出られない肥満体の母親や知的障がいを持った弟の面倒を見ており、町の外へ出ることができない。彼は、家族のしがらみを流れ自由に暮らしたいという思いを抱えながらも、家族の世話に追われる日々を送っている。
そんなある日、彼の目の前にベッキーが現れる。祖母と2人トレーラーで気ままな旅をしている彼女は、広い見識と多様な価値観を持ち、田舎の町から出たことのないギルバートにとっては刺激的な存在だった。また、ベッキーにとっても、家族を守るギルバートが徐々に魅力的な存在に変わっていく。
こういった関係性を最も端的に表しているのは、川辺に寝転んだギルバートとベッキーの次の会話だろう。「あなたの望みは?」と聞くベッキーに、ギルバートは次のように答える。
ギルバート「新しい家を僕の家族に。お袋にエアロビクスを。アーニーに新しい脳を…」
ベッキー「自分には? あなたの望みは?」
ギルバート「いい人間になりたい」
家族に対する願いがかなりクリアであるのに対し、「いい人間になりたい」というギルバート自身の願いはかなり曖昧だ。このセリフには、家族を思い、自らを犠牲にするギルバートのやさしさが滲み出ている。
しかし、一方で、このセリフにはギルバートの罪悪感が現れているという見方もある。この意見を紐解くには、原作に登場するとあるエピソードを紐解かなければならない。そのエピソードとは、ギルバートの父親の死をめぐるものだ。
ギルバートがまだ小学生のころのこと。朝から胸騒ぎがしていたギルバートは、精神的にふさぎ込みがちな父親のことが心配で、休み時間を利用して父親の様子を見に行こうとすら思っていた。しかし、不運にもギルバートは授業中に失禁してしまい、その後片付けをしなければならなくなってしまう。そしてその間に、父親は首を吊って自殺してしまう。
自分がしっかり父親を見張っていたら。そして、あのとき失禁していなかったら…。そんな後悔が、長年にわたり彼の頭の中を支配してきたのだ。ちなみに本作の原題『What’s Eating Gilbert Grape』を直訳すると「ギルバート・グレイプ、何を悩んでいるの?」となる。
「いい人間になりたい」という言葉には、彼の罪悪感が反映されているのかもしれない。