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隠蔽されたバービー人形の“起源”

©2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
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一方で本作では、キャラクターとしては唯一魅力的なウィアード・バービーの存在が、かえって多様なバービーたちの魅力を削ぐ結果を生んでしまっているようにも見える。たしかに本作でも、それぞれのバービーのマイノリティ性とその能力は関連させられていない。しかし、バービーランドの規範から外れてしまった「奇妙(ウィアード)」な彼女と対比されることで、多様なバービーたちは、それぞれの多様性を肯定されているのではなく、いまや若干不気味な含意をもって響きもするリゾの楽曲や、キラキラしたピンク色に彩られたバービーランドから、「奇妙ではない」存在として承認され、包摂されているだけなのではないかという疑念が、どうしても湧き上がってきてしまうのだ。

ところで、性的な要素を一切取り除いた子供用の玩具としてのマテル社版バービーの起源は、実は戦後西ドイツで誕生した漫画のキャラクター、リリをかたどった人形であることが知られている。女性としての性的魅力をふんだんに振りまくリリの姿は、いわゆる定番バービーの原型となったが、創業者ルース・ハンドラーを重要な役どころとして登場させる本作でも、その存在は隠蔽されている。

偶然にも私は『バービー』を鑑賞する直前、ドイツ人ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが共同脚本と出演で関わったダニエル・シュミット『天使の影』(1976)を観た。たとえば同作では、金持ちのユダヤ人によって露骨すぎる形で社会に包摂される主人公のイングリッド・カーフェンら、剥き出しの差別に晒される、どこかリリの姿を想起させもするセックスワーカーたちや、周囲の性的マイノリティには、一切何の救いももたらされない。だが、映画が彼女たちに注ぐ厳しい眼差しは、ある意味で本作より平等なものではないか。

巧妙に人間世界を逆転させたものにすぎないという予防線が張ってあるとはいえ、多様な形での金銭的、あるいは社会的成功のみを祝福しているようも感じられる、貧困や階級のテーマを意図的に排除したバービーランドのあり方は、リリの存在を抑圧する製作陣やマテル社の姿勢とも重なる部分がある。

『バービー』の世界観が、果たして本当にあらゆるマイノリティを励ますものとなっているのかには、一考の余地があるだろう。

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