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ゴダールの引用癖が炸裂した脚本の魅力

原作となったのは、犯罪小説を得意とするアメリカの作家、ライオネル・ホワイトが1962年に発表した長編「Obsession(妄執)」。妻子持ちの冴えない男が、ティーンエイジャーの娘にたぶらかされ、ギャングがらみの殺人事件に巻き込まれる、という筋書きだ。

映画『気狂いピエロ』の1シーン。手前はアンナ・カリーナ、奥にジャン=ポール・ベルモンド
映画気狂いピエロの1シーン手前はアンナカリーナ奥にジャン=ポールベルモンドGetty Images

原作において主人公は、最終的に娘に裏切られ、何もかもを失う。しかし、映画とは異なり自殺を遂げることはない。ちなみに、原作では主人公の回想形式で物語が進行する。回想を使った叙述はノワール小説の王道パターンである。

小説「Obsession(妄執)」と映画『気狂いピエロ』の共通点は、大まかなあらすじだけだと言っていい。さらに、肝心の筋書きも「平凡な男がファム・ファタール(運命の女)と出会い人生を狂わせていく」という、ノワール小説の典型である。つまるところ、原作小説は映画『気狂いピエロ』の魅力にほとんど貢献していないのだ。

青い車に乗ったフェルディナンと赤い車に乗ったマリアンヌが車を接近させてキスをするシーン、海兵から金を恵んでもらうために即興コントを行うシーン、顔面にダイナマイトをくくりつけて壮大な自殺を試みるクライマックスなど、観る者に鮮烈なインパクトを与える場面の数々は、原作に描かれていないどころか、シナリオにも書き込まれておらず、すべて即興的に撮影されたという。

『気狂いピエロ』において、物語は役者の芝居や映像を輝かせるための“口実”のようなものに過ぎず、筋だけ追っていても魅力はわからない。シナリオを設計図にして映像を組み立てていく一般的な商業映画とは異なり、即興演出を特徴とするゴダール作品では、映像そのものが唯一無二の価値を持つのだ。

即興演出に加え、ゴダール作品の特徴として多くの人が思い浮かべるのは、書物や映画作品からの豊富な引用だろう。浴室で読書にふけるフェルディナンの姿から始まる本作では、のっけからゴダールの“引用癖”が炸裂している。

冒頭のシーンで、フェルディナンが音読しているのは、フランスの美術評論家・エリー・フォールによる、17世紀に活躍したスペインの画家・ディエゴ・ベラスケスの絵画を論じる解説文である。また、フェルディナンがダイナマイト自殺を遂げた直後には、「やっと見つけた、何が? 永遠 海と そして 太陽」という、アルチュール・ランボーの詩が大胆に引用される。

言うまでもなく、引用された言葉もまた、それ自体で意味をなすことはなく、映像と結びつくことでユニークな魅力を発揮する。見渡す限りの水平線を映したラストカットは、ランボーの詩を呼び込むことによって、一度観たら二度と忘れない、鮮烈なイメージに変貌するのだ。

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