青と赤を基調にした色彩設計が意味するものとは?
自由奔放なカメラワークとおもちゃ箱をひっくり返したような色使い。既存の映画文法から逸脱しつつも、フレームをコントロールする確固たる技術も感じさせる『気狂いピエロ』の映像は、唖然とするほど美しく、何度観ても驚きが尽きない。
建物の壁や洋服はおろか、自動車、家具、アクセサリーなど、細部にわたって「青」と「赤」が一つの画面に共存する形で配置されている。青いスーツを着たフェルディナンと赤いワンピースを身にまとったマリアンヌが、森林の「緑」を背景に、付かず離れず歌い踊るシーンは、両者の躍動的なアクションもさることながら、色彩のレイアウトがなんとも美しい。
青=フェルディナン、赤=マリアンヌの幸福な組み合わせは、後半に至ると変化する。ギャングの襲撃から生き延びたフェルディナンは、自身を見捨てて逃亡したマリアンヌに再会。彼女を許し、再び行動を共にするのだが、このシーン以降、フェルディナンは赤い衣服を身にまとい、マリアンヌは青い服に身を包むようになる。主役2人のイメージカラーの配置転換が、急転する物語とリンクしているのだ。
その後、フェルディナンは再びマリアンヌに裏切られ、彼女を射殺。青いベッドに横たわったマリアンヌは顔を赤い血で染め、命を落とす。その直後、フェルディナンは青いペンキを顔に塗りたくり、真紅のダイナマイトを巻きつけて自殺する。興味深いのは、キーカラーである「赤」と「青」が交錯する形で2人の死が描写されている点である。『気狂いピエロ』の色彩設計は一見無秩序的だが、独自のロジックに基づいて構成されており、観る者は色彩の変化によって物語の移り変わりを視覚的に享受することができる。
カメラを担当したのは、デビュー作『勝手にしやがれ』以来、度々ゴダールとタッグを組み、本作が10本目のコラボとなるラウール・クタール。ゴダールと並ぶヌーヴェル・ヴァーグの代表的映画監督であるフランソワ・トリュフォーの『ピアニストを撃て』(1960)や『突然炎のごとく』(1962)の撮影監督も務めており、ヌーヴェル・ヴァーグの屋台骨とも言える存在である。
360°パン(カメラを水平に回転させてあたり一面を撮影する手法)を駆使した、部屋の中と外を往来する複雑かつ流麗なカメラワークが随所で見られる。何より素晴らしいのは、一つのカットの中で視点軸が目まぐるしく移動しているにもかかわらず、カメラワークだけが浮き上がることなく、被写体の動きはもちろん、ふとした表情の変化や呼吸の乱れをも繊細に捉えている点である。
役者の刹那的なアクションを引き出すゴダールの即興演出は、ラウール・クタールの卓越した撮影技術なくしては形なしである。ゴダールのインスピレーションを天才的なカメラワークによって画面に定着するクタールの撮影は、本作において輝きのピークを見せている。