旧共産圏ユーゴスラビアを巡る“シネマドリフター”たち
―――長編映画の場合、2週間とか3週間というまとまった期間を押さえて、その中で撮影を行うわけですが、本作の撮影はどのような形で行われたのでしょうか?
リム「僕は、クランクインの3週間前に現地入りして、ロケハンをしながらイメージを膨らませていました。アデラさんはクランクインの2週間前に来ていて、1ヶ月以上スケジュールを確保してもらっていたんですが、尚玄さんがスケジュールの都合で3週間しかいられないので、いかに尚玄さんが写っているカットを撮り切るか考えていました。で、撮影期間も結局尚玄さんのスケジュールに合わせて決まりました。
撮影は、半島一番の都市であるセルビアのベオグラードを拠点に行ったんですが、尚玄さんにはまずベオグラード経由で撮影現場の北マケドニアに来てもらいました。で、撮影後、一旦ベアグラードに戻って撮休を取ってから、今度はボスニア・ヘルツェゴビナに向かいました」
―――物語より先に撮影のルートを決めたんですね。
リム「そうですね。本作はスケジュールの制約の中から生まれた作品なんです」
―――作品を見ると、移動中はあまり撮影していないイメージがあります。
リム「そうですね。撮影は、ユーゴスラビアに点在するスポメニックという共産主義時代に建てられた記念碑で行っていて、セルビア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナの3国のスポメニックを対象に移動ルートを決め、撮影を行いました」
―――尚玄さんがスポメニックを前にどう感じるかが映像の中で表現されているわけですね。
リム「そうですね。本作は、尚玄さん演じるジェイがマケドニアでアデラと知り合って、セルビアで彼女の映画を撮った後、のこって映画を撮るためにマケドニアに向かうが、出演を断られてボスニア・ヘルツェゴビナに行ったというのがおおまかな筋ですが、この箱書きに、スポメニック巡りを組み込んでいきました」