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悲しみと孤独に挑む主人公

アンドリュー・ヘイ監督
アンドリューヘイ監督Getty Images

映画『異人たち』で描かれる”悲しみ”、映画『aftersun/アフターサン』でのそれに似ている。両作品とも大切な人の喪失の複雑さを描写している。しかし相違点もある。

映画『aftersun/アフターサン』は、父親と2人で過ごした思い出の夏休みを、父が亡くなった後、当時の父と同じ年齢になった娘の視点でつづり、当時には気づかなかった父親の新たな一面を見いだしていくヒューマンドラマであり、失った愛する人の理解を深めていく姿が映し出される。

一方で映画『異人たち』は、失った”悲しみ”が、失った人への見方を曇らせるという内容を扱っている。

映画『異人たち』では、家族の幸福で愛情に満ちた喜びの思い出と、自身の感情が無視された経験や幼少期に負った傷。さらには両親や周囲の人間からの同性愛嫌悪の側面が描かれる。

特に印象的なシーンは作中でアダムが学校でいじめられ、涙するシーンだ。この場面でアダムは自身の父親になぜ自分を慰めてくれなかったのか尋ねる。本作で取り扱われる”悲しみ”とは、両親という存在が亡くなった後の人生を一人で歩むことだけではない。

彼らが生前に行った心を痛めつける行動や発言に、彼らの死後もなお固執するものの、二度とそのことについてお互いに話し合い、理解を深めることができないことでもある。ヘイ監督は、幸せな家庭にも葛藤があることをセンセーショナルに表現して、ごまかしたりはしない。家族や両親の愛は子供にとってシンプルとは限らないその本質を理解しているのだ。

映画『異人たち』では、親も自分や他人と同様、過ちを犯す存在でもあり、起きた間違いは誰かに解決できるような問題ではなく、何も変えることができないことを観客に思い起こさせる。

アダムは自分の中にある誰も理解することができない感情と戦う一方で、自分と同様に傷ついているかもしれないハリーと、新しい関係に乗り出そうと試みる。

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