マルチバースを舞台としたカンフーアクション大作―演出の魅力
本作は、『ヘレディタリ―/継承』(2018)や『ミッドサマー』(2020)で知られる配給会社A24が製作するカンフー・アクション。メガホンを取るのは、ダニエル・クワンとダニエル・シャーナイトによる監督ユニット「ダニエルズ」。主人公のエヴリンを『007 トゥモロー・ネバ―・ダイ』(1997)『SAYURI』(1997)などで知られるアクション女優ミシェル・ヨーが演じる。
アカデミー賞では、アジア人女性初の主演女優賞をはじめ、計11部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、編集賞の計7部門で受賞。『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003年)を上回って史上最も多くの賞を獲得した映画となった。また、興行収入も世界で1億ドルを記録し、A24史上最大のヒットを記録。世界中で“エブエブ旋風”を巻き起こした。
映画のテーマとなる「マルチバース(多元宇宙)」とは、私たちが存在する宇宙以外にも複数の並行宇宙が存在するという量子力学の仮説のこと。アメコミでは古くから用いられており、近年はMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の設定で用いられている。
とはいえ、マルチバースを扱った従来の作品は、あくまで単一の宇宙が軸になっていたり、時間軸を往還したりといった展開が関の山だった。しかし、本作の場合は、複数の並行世界を激しく横断しながら戦う。そのため、カットごとに登場人物の人格や世界が激しく入れ替わり、かつてないほどにカオスな作品になっている。
監督のダニエル・クワンは、本作のマルチバースをインターネットのメタファーとして描いたという。FacebookやInstagramといったSNSの登場以来、現実の私とは異なる私を演じながら他者と交流している。つまり、エヴリンをはじめとする登場人物たちは、複数のユニバースを往還する私たち自身の姿だと言えるだろう。
また、クワンによれば、主人公エヴリンは当初、発達障害のひとつであるADHD(注意欠陥多動性障害)で、気が散りやすい設定だったという。つまり、彼女が体験するマルチバースは、彼女がその散漫さゆえに手放してきたifの集積であり、ADHD者の脳内世界そのものなのだ(なお、クワンは、本作のリサーチ中に自身がADHDであると気づいたという)。
要するに本作は、マルチバースという壮大なテーマを取り上げながらも、実は極めて現代的で我々が生きる日常と地続きのテーマを描出しているのだ。