宇宙視点で語られる家族の物語―脚本の魅力
本作『エブエブ』は、「Everything」、「Everywhere」、「All at Once」の3つの章に分かれている。
第1章「Everything」では、エヴリンがアルファ次元の夫ウェイモンドを通してマルチバースの存在を知り、娘を守ろうと奮闘する姿が描かれる。本章では、主演のミシェル・ヨーのカンフーアクションに加え、別のユニバースにジャンプするための奇抜な行動が見どころとなる。リップクリームをいきなりむさぼり食べたり、ケツにディルド型のトロフィーを刺したまま戦う様子には、どこか『コロコロコミック』を連想させるおバカさがあり、思わず吹き出してしまうこと請け合いだろう。
第2章「Everywhere」では、エヴリンが自身の人生のifを横断し、娘を守ろうとする姿が描かれる。本章のエヴリンは、映画スターとなった宇宙のエヴリン、シェフになった宇宙のエヴリン、人類の指がソーセージになった宇宙のエヴリンなど、複数のユニバースのエヴリンと交感しながら並みいる敵に立ち向かっていく。本章では、前章の過激なカンフーアクションを軸に据えながらも、家族のドラマが主軸となる。
また、本作では、第1章と第2章にそれぞれプロットポイント(物語の転換点)が設けられており、それぞれアルファ次元のウェイモンドの「勇敢さ」と、現次元のウェイモンドの「優しさ」がトリガーになっている。
まずは第1章のプロットポイントについて。ここでは、現次元のエヴリンにマルチバースの存在を説き、彼女を導いていたアルファ次元のウェイモンドが、ジョブ・トゥパキの急襲に倒れる。カンフーの達人であり、彼女の戦いを陰ながらサポートしてきた彼は、エヴリンにとって「理想の男性」だったのは言うまでもない。第1章は、彼の死をもって幕を閉じる。
続いて第2章のプロットポイントについて。ここでは、戦いを前に逃げてばかりいる、うだつの上がらない現次元のウェイモンドを、エヴリンがガラスの破片で刺してしまう。しかし、彼は、騒ぎを起こしたエヴリンを開放するよう監査官のディアドラを説得し、エヴリンに「優しくならなきゃ」と説得する。
ここで効いてくるのが、本作のマルチバース設定だ。例えば作中では、敵対していた監査官ディアドラが、実は指がソーセージになっている宇宙では実は愛人であることが描出されている。また、生物が生まれなかった宇宙では、敵対しているはずのエヴリンとジョイが、物言わぬ石となって肩を並べている。つまり、ユニバースでは見知らぬ他人であっても、マルチバースでは隣人であるということが大いにあり得るのだ。
2回目のプロットポイントを経て万物が「マルチバースの隣人」であると悟った彼女は、その戦い方を大きく変える。いわば、襲い来る敵に対し、攻撃ではなく「抱擁」で応じるのだ。そして、別世界のエヴリンも、整体で凝りを解消したり、SMプレイで快楽を与えたりといったように、現次元のエヴリンのアクションに併せる形で行動を変えていく。この映画史上類を見ない「癒しのアクション」は、一歩間違えると実にバカバカしいが、自然と涙が出てくるからなんとも不思議だ。
ここで触れなければならないのが、エヴリンの娘であるジョイだろう。彼女は、エヴリンに生き方を強制された末、自分らしい生き方を見失ってしまっている。そして追い込まれた彼女は、複数のバースを往還し(=挫折を重ね)彼女は、「マルチバースの破壊者=ジョブ」として、全てを破壊するベーグルを生み出す。
さて、このベーグルは、一体何を意味しているのか。ヒントとなるのが、ベーグルに全世界を載せたというジョブの次のセリフだろう。
「夢と希望、それに昔の成績表。全部の犬に、個人広告……色んな調味料も全部乗せた。そして、何も無い」
ここから考えられるのは、ベーグルがあらゆるものの意味を無価値にする力を持っているということだろう。そして、それは裏を返せば、物事に価値を見出す自分自身を否定するということでもある。つまりベーグルとは、破壊者をも飲み込んでしまうブラックホールであり、空虚そのものなのだ。
一方、これに対し、エヴリンは、全てを飲み込むベーグルに対し、「ギョロ目シール」を貼る。ベーグルが無価値の象徴であったのに対し、「ギョロ目シール」は物事に価値を見出すことの象徴だろう。これはつまり、物事に価値を見出すジョイ=ジョブ自身を、ひいては、その人生を肯定することでもある。
そして、物語は収束に向かう。第3章「All at Once」で描かれるのは、エヴリンの人生の物語であり、これからの物語だ。つまり、本作は、壮大なSF映画を描きながらも、実は半径1メートルの家族の出来事を描いているのだ。
以下は、優しさを身につけたエヴリンと、恋人のベッキーとコインランドリーを後にするジョイとの会話だ。
「あんたは勝手にタトゥーを入れるし、食事も荒れてて太ってる。家族割なのに電話も掛けてこない。ワガママで傲慢で…。だけど、こんな混乱の中でもあなたをずっと探してた。何故かそれでも、ただこの場所にいつでも一緒にいたいと思う」
「いつでも、どこにでも行けるのに?別の場所で”他の娘”と会うこともできるのに?それなのに私とこの場所にいたいと思う理由はなに?どうせ少しの時間しか一緒にいられないのに」
「その少しの時間を大切に過ごしたい」
このセリフは、マルチバースを横断したエヴリンだからこそ言える言葉だろう。つまり本作は、人類愛と隣人愛をめぐる物語なのだ。