「三浦按針」という日本名を賜わったブラックソーンの日本での新生活
続いて、物語の大筋を確認しておこう。
時は1600年、大坂では統治者である太閤秀吉の死後、幼い世継ぎ・八重千代が残されたため、筆頭格である石堂和成と杉山如水、木山右近定長、大野晴信、そして吉井虎長の「五大老」による合議制で、辛うじて世の平定が保たれていたが、その内部では権勢を張り合い、誰もが出し抜いてやろうと考えていた。大坂城の大広間には、秀吉に鎧兜が飾られ、それはあたかも“現人神”の如く、鎮座していた。
一方、日本との貿易で利益を享受するポルトガル人のカトリック教徒たちと、その敵であるプロテスタント教徒の対立もあった。
そんな日本の網代(現在の静岡県熱海市)に、ジョン・ブラックソーンが率いるオランダ商戦が漂着してしまう。網代領主の樫木央海は、叔父の樫木藪重を呼び、ブラックソーンらを捕虜にする。
その頃、大坂城では、関東領主で五大老の虎永が会合の場で、石堂和成ら他の大老たちに、不当に領土を拡大し、世継ぎの母である落葉の方を人質としていると糾弾され、討伐の沙汰が下される。虎永は、命懸けで大坂を脱出し、網代へ向かう。
ブラックソーン上陸を脅威に感じていたイエズス会とカトリック信者は、彼を海賊行為で死罪になるように仕向け、暗殺されそうになる。
そんな2人は網代で面会。ブラックソーンが西洋の戦術である大砲のデモを行うと、虎永はいたく気に入り、彼を旗本に任命。藤の方を妻にあてがい、鞠子には通詞として、常に側にいるよう命じる。そして「三浦按針」という日本名を賜わったブラックソーンの、日本での新生活が始まる。
ブラックソーン改め按針は、日本独特の風習に戸惑う毎日を送ることになる。母国では経験したことのない大地震も体験するのだが、その際、虎永の命を救ったことから、ますます信頼を得ることになる。
特に按針は、戦国の世にあって、命を軽んじる文化には異を唱え、虎永に対しても、その考えを口にする。一家臣でありながらも、“言うべきことは言う”男なのだ。その男らしい姿に、鞠子も惹かれていく…。