「完全な人はいない」に込められた意味ー脚本の魅力
まず、注目すべきは、本作のオープニングだ。
夜の市街地で繰り広げられるパトカーと霊柩車の銃撃戦。警官たちの銃は走行中の霊柩車のドアに当たり、棺を貫通する。すると、棺の穴からだくだくと液体が流れ始める。パトカーをまき、霊柩車の乗組員が徐に棺を開けると、そこにはぎっしりと酒瓶が。そして、画面に「Chicago,1929」のテロップが表示される。
歴史好きの人ならば、1929年という年号から、本作は、禁酒法時代のアメリカが舞台の物語で、ギャングたちは棺桶にカモフラージュして酒を密売しているのだ、とピンとくることだろう。本作では、この複雑な物語設定を、セリフなしで表現しているのだ。しかも、本家のギャング映画をカモフラージュすることで。
また、本作といえば、「アメリカ映画の名セリフベスト100」にも選出されたあの名ゼリフについても触れなければならない。ギャングから逃げおおせたジョーとジェリーは、シュガー、そしてオズグッド3世とヨットでフロリダを後にする。と、その船内で、ジェリーは、自身との結婚を諦めようとしないオズグッドに対して、ウィッグを外し、女装していたことをバラしてしまう。しかし、オズグッドは全く動じる気配がない。それどころが、シュガーに次のように言い放つのだ。
「完全な人などいない(Well, nobody’s perfect)」
オズグッドがなぜこのセリフを言ったのかについてはさまざまな理由が考えられるが、実は有力な説として、「オズグッドは同性愛者だった」というものがある。つまり彼は、ジェリーが女装した男性であることを知りながら恋心を抱いたというものだ。
思えば、本作には、かなりいわくありげなシーンが多く見られる。そもそも、なぜ禁酒法時代のアメリカが舞台なのか。そして、ジョーとシュガーのキスシーンはなぜ不自然なまでに長いのか。そして、ジョーとジェリーは、なぜ女装をしているのかー。これらを読み解く鍵となるのがヘイズ・コードだ。
ヘイズ・コードとは、キリスト教的な道徳観から、ハリウッド映画の描写を規制するルールのこと。1930年代から適用され、性描写や暴力が検閲の対象となったとされている。
このヘイズ・コードに照らし合わせれば、同性愛や女装を扱う本作は、間違いなく公開禁止にされてもおかしくない作品だった。しかし、本作は全米映画協会の検閲を受けずに公開され、結果的に大ヒットを記録することになる。
つまり、ワイルダーは、ハリウッドが表現の自由を勝ち取るためのメルクマールとして、同性愛や女装といった「非道徳な」モチーフを確信犯的に盛り込んでいったのだ。
さて、本作の公開からおよそ10年後、ヘイズ・コードは事実上廃止され、現在のレイティングシステムに取って代わっていく。この「勝利」の裏には、ワイルダーをはじめ、多くの映画監督の努力があったことは忘れてはならないだろう。