サイレント映画の呼吸が感じられる演出
監督の小津安二郎は、1920年代から30年代にかけて、サイレントコメディの傑作を数多く手がけている。リストラされたサラリーマンや親に反抗する少年といった市井の人々に焦点を当て、日常に潜む不条理な出来事に直面し右往左往する庶民の姿を軽快なタッチで活写した作品群は高く評価され、興行的にも成功。コメディ作品で培った小気味の良いカット割りやアクション演出は、シリアスなテーマを扱うことの増えた戦後の監督作品においても遺憾なく発揮されており、本作も例外ではない。
周吉が旧友と再会して夜深くまで痛飲し、千鳥足で帰宿したところを娘の志げに説教されるシーンは、悲哀とユーモアが絶妙な按配で入り混じった名場面である。小津の十八番と言えば、似たような身振りや映像を反復させる演出である。修吉ととめが横並びになって東京行きの身支度をする冒頭のロングショットは、終盤にもう一度、形を変えて繰り返される。
冒頭では夫婦2人が構図の中心を占めていたのに対し、終盤に同じ構図のカットが反復されるとフレーム内には周吉しかおらず、とめが座っていたスペースは不自然にぽっかり空いているのだ。セリフに頼らずとも、伴侶を亡くした周吉の喪失感が一目でしっかりと伝わる。サイレント映画で腕を鳴らした巨匠ならではの、素晴らしい演出である。