永瀬廉の人柄が伝わる最高のハマり役…感動×ミステリーの合わせ技とは? ドラマ『厨房のありす』徹底考察&感想レビュー
text by 菜本かな
門脇麦、永瀬廉共演のドラマ『厨房のありす』(日本テレビ系)が放送開始した。自閉症スペクトラムの料理人・ありすと周囲の人が絆を結ぶ中、過去のとある事件がやさしい世界に波紋を起こすハートフル・ミステリー。今回は『厨房のありす』の魅力に迫るレビューをお届けする。(文・菜本かな)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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【著者プロフィール:菜本かな】
メディア学科卒のライター。19歳の頃から109ブランドにてアパレル店員を経験。大学時代は学生記者としての活動を行っていた。エンタメとファッションが大好き。
生きづらさを抱える人を包み込む
”ハートフル・ミステリー”
『厨房のありす』(日本テレビ系)第2話のサブタイトルは、“誰かと共に生きること”。自閉症スペクトラム症(=ASD)のありす(門脇麦)には、いくつもの強いこだわりが存在する。たとえば、テーブルの拭き方。ありすのなかでは、テレビ側の角から拭き始めるというルールがあるため、冷蔵庫側の角からぐるぐると円を描くように拭いていく倖生(永瀬廉)を見ていると、虫唾が走る。
そのほかにも、コップの色やバスタオルの置き方まで。少しでも違うことをされると、ありすは戸惑ってしまう。正直、「そのくらいは、目をつぶってあげればいいのでは?」と思ってしまう部分もあるが、一緒に暮らす相手が大切にしていることに寄り添ってあげる。それこそが、誰かとともに生きることなのかもしれないと気付かされた。
『厨房のありす』の魅力は、人間をカテゴライズしないところにある。たとえば、ASDのありすの特性を紹介する時、心護(大森南朋)や和紗(前田敦子)は、いつも「ありすの場合は、ね」と付け加える。まったく同じ人間はひとりも存在しないように、同じASDだからといって一括りにはできないのだ。倖生も、ASDを理解するというより、ありすの個性に寄り添っていく……というスタンスなのが良い。
それにしても、倖生は本当に包容力のある男性だなぁと思う。調味料の器を置く順番を間違えただけで、バーっと怒られたら、仕方がないと思いながらも、ちょっとはイラッとしてしまうはず。それなのに、倖生は必死になってメモを取り、ありすのこだわりに寄り添おうとしているのだ。