「映画が一つの人格を持つ」映画「TOKYO,I LOVE YOU 」中島央監督、独占ロングインタビュー
山下幸輝を主演に、恋人、親子、親友たちの3つの愛をテーマに描いた映画「TOKYO,I LOVE YOU」が11月10日(金)より公開される。今回は、監督を務めた中島央さんに独占ロングインタビューを敢行。本作へのこだわりや、アメリカ留学で学んだ映画と日本について、また家族のことなど、熱く語っていただいた。
【プロフィール】
東京都出身。2003年、サンフランシスコ州立大学映画学科卒業。これまでにアメリカ人のキャスト・スタッフで製作した『Lily』(11)『シークレット・チルドレン』(14)など劇場長編映画を2本、短編を2本発表し、ヒューストン国際映画祭をはじめとした国際映画祭で受賞・ノミネートされた数は総計22にのぼる。監督作の脚本はすべて自身で執筆している。近年も精力的に製作を続けており、現在は現代社会に生きる透明人間の苦闘の冒険を描くSF映画『MISS INVISIBLE』の製作準備に着手している。
「映画とは変化を見せるもの」
観客を夢中にさせる技とは?
ーー3部構成、そしてフォトジェニックな映像と魅力的なキャストで、今の時代にピッタリな作品だと感じました。まず企画の成り立ちから教えてください。
「2006年に映画『パリ、ジュテーム』というパリを舞台にした作品があって、その後映画『ニューヨーク、アイラブユー』(2008年)という作品もあるんですけど、それらを観た時に、“きっと東京バージョンも作られるんだろう”と思っていて、もしそういう企画が立ち上がったら”絶対に自分の手で作ってみたい!”って強く思ってたんですよ。
なので実際に映画の製作の話がまとまった時は、長年溜めていたマグマが一気に溢れるような感じで、アイディアに困るというよりも、何を切り捨てていくかという感じでした」
ーーもともと構想していたものは、『パリ、ジュテーム』のように、10エピソード前後の小話が積み重なっていく構成だったそうですね。ではそこから脚本を書き進めていくうちに、3部構成になったと。
「本当に自然に今の形になったという感じですね。僕の執筆スタイルの場合、ルールがあって、まず何もない状態からいっせいので脚本をいきなり書くと失敗するので、まず1枚の紙にプロットを書くんですね。
脚本執筆のテクニックは熟知しているので、自分の場合、自ら書いたプロットを見た段階で幕構成の配分とか全体の起承転結が見えてくるんです。
デビュー当時はそういう事は出来ず、全くそういう知識もなかったんですが、改めて脚本構成・脚本構造をしっかりと一から学び直したおかげで、絶対押さえるべきポイントが分かるようになりましたね」
ーー第1章のVRが登場する場面は、スティーブン・スピルバーグ監督『レディ・プレイヤー1』(2018)を彷彿とさせ、まるで自分が実際にゲームをやっているような感覚になりました。
「映像でそのまま東京タワーを映すだけでは面白くないと思い、何か新しい映像表現はないかと模索した上で、現在の形にいたりました。
VRの世界で東京タワーを描くと、それこそ映像表現の自由度が比較的に上がるので!だから、ああやって、あえてVRの世界を大きくフィーチャーしているんです。
でも、同時に物語自体は、国籍を選ばず誰もが分かるようなシンプルな話じゃなくちゃいけないと思ってもいます。映像が凝っている分、話まで変に複雑化して凝り始めると、もう訳が分からなくなってしまうというか。
海外の映画祭に行くと、向こうの人達からよく言われたんですけど『日本の映画は日本人にしか分からないところがあるよね』と、『内輪ノリっぽさがあるぞ』と嫌味っぽく指摘される事が本当に多かったので、そういう内輪的なノリ、楽屋落ち的なノリ、そこは徹底的に排除しようと心がけました。
また物語を通して、最初から最後まで観客を夢中にさせるにはどうすればいいんだろうということは常に考えてましたね」
ーー世界中のどんな人にも共感するストーリーにするということですね。夢中にさせるための要素は、具体的にどんなことを考えますか?
「TSUTAYAに置いてある何万本もの映画は既に全部観てると言えるくらい、世界中の映画を見てるので、、それだけの量の映画を見ていれば自然と映画のセンスが磨かれて、万人に受ける物語であるかどうかの合否のポイントというのが自分の中ではっきりとした基準があり、分かるんです。
あと一番大事なのは、ストーリーがちゃんと展開されているかってことなんです。これはアメリカで徹底的に学ばされるんですけど、主人公が映画の一番最初のA地点から、一番最後のZ地点に行くまでに全くの別人になってないといけないんです。物語の最初と最後では、サナギであった主人公が完全に蝶となり、空高く飛んでいくみたいに、完全に別人格と言えるくらいの大きすぎる変化を見せないと映画として成立しない、という事なのです。
例えば、本作の第2章で登場する小山璃奈さん演じるカレンは、最初は最低な奴なんですけど、だからこそ最後にあの感動があるっていう。映画とは究極に言うと、登場人物が達成していく“変化”を見せる旅路であるので、なるべく変化の幅を大きく出せるように気を付けていますね」