複数の物語が絡み合う脚本の魅力
本作のシナリオは、村上春樹の小説「ドライブ。マイ・カー」をベースに、短編「シェエラザード」「木野」(いずれも短編集『名前のない女たち』に収録)の内容を一部取り込む形で構成されている。
家福の妻・音の職業は脚本家である。彼女が物語を着想するのは、夫と性交したあとと決まっており、家福は妻が語ったストーリーを記憶し、翌朝、彼女に語り直すことによってシナリオが作られていく。
上記の設定は短編小説「シェエラザード」にもあるが、原作では物語を語る女とそれを聞く男は夫婦関係ではなく、不貞関係にある。ちなみに、「シェエラザード」とはイスラム世界における説話集「千夜一夜物語」に登場する王妃の名前だ。彼女は毎夜、愛人である王に対して魅力的な物語を語る存在として描かれている。
興味深いことに、濱口竜介は東北地方を舞台にしたドキュメンタリー『うたうひと』(2013)においてすでに、「物語の伝承」というテーマをユニークな形で取り上げている。『うたうひと』がフィーチャーするのは、幾世代にも渡って民話が語り継がれ、徐々に物語の内容に変化が生じていく過程である。
一方、『ドライブ・マイ・カー』では、妻が、戯曲『ワーニャ叔父さん』のセリフを淡々と読み上げ、テープに吹き込み、夫に語り聞かせる。夫はそれをすり切れるほど聞き込み、舞台の上で聴衆に語り聞かせる。テープにまつわるエピソードは原作にはなく、映画オリジナルである。一見すると、「死んだ女に囚われつづける男」という村上春樹の代表的なモチーフをよく表したエピソードに思えるが、それは一面でしかない。人から人へと物語を語り継ぎ、新たに歴史を紡いでいく、前向きなニュアンスを持った濱口竜介特有のテーマを表してもいるのだ。
濱口竜介と映画監督・脚本家の大江崇允が共同で執筆した脚本は、村上春樹の原作小説はもちろん、「千夜一夜物語」や「ワーニャ叔父さん」といった実在するテクスト、音がベッドの上で語る“空き巣に入った女子高生の物語”をはじめとした架空のエピソードなど、レベルの異なる複数の物語が入れ子構造を成している。
それぞれのエピソードは、互いを照らし合い、その都度異なる解釈を生み出していく。この知的な仕掛けに満ちたシナリオは国内外で賞賛を集め、カンヌ国際映画祭で日本映画としては初となる脚本賞を受賞した。