「自分の中で消化できないものと向き合いたい」
本作のキャラクターとテーマについて
―――廣末さんが演じられた雨森は、とある障害を患っており、世間的には彼の欲望を認めること自体、ほとんどタブーだと思います。とはいえ、自身ではコントロールできない欲望と向き合っている人は現実に存在する。今回の映画は「ここから目を逸らしてはいけない」という作り手としての強い意思を感じました。
髙橋「そうですね。ただ僕は、世の中に問いを突きつけたいというよりかは、自分の中で消化できないものと向き合いたいという気持ちが強くて。
どんどんクリーンな社会に向かっていて、多様性を認めなければいけないと口では言っているのに、僕自身、雨森のような人と出会った時、『辛い気持ち、わかるよ』なんて思わずに、やっぱり引いてしまうと思うんですよね。
実際、本作を製作するにあたって、海外の方が書いた手記を読んだんですけど、その時は結構しんどかったし、衝撃を受けました。他の人と同じ人生を送るために苦しんでいる人ではありましたが、でもやっぱり一回は引きました。
本作のモチーフについて心配する声もあって、設定をLGBTQや知的障害などに変えることもできたんですけど、それだと本当の意味でやりたいこととは違う気がしたんですよね」
―――今回の映画では普遍的な答えが出せない問題に対して、あくまでも日和と雨森の関係が丁寧に紡がれた末に導き出された個別的な答えが描かれていると思いました。また、そこに映画としての誠実さ、ある種の賭けのようなものも感じました。この難しいテーマをドラマにする上で、どのような点を意識しましたか?
髙橋「もちろん観る人にどう伝えるか、その辺のことは綿密に考えたんですけど、『このキャラクターがどんなリアクションをするのかな』と思いながら脚本を書いていると、日和というキャラクター自身が答えを導き出してくれました」
―――最初から結末を想定して書いていたわけではなく、脚本を書き進めていくうちに、キャラクターが自発的にドライブするように物語を推進していったと。
髙橋「まさにドライブしていった感じですね。雨森に関しても、最初は部屋に閉じこもって暗いイメージで考えていたんですけど、それだと観客を突き放してしまうと思い、喋り方とかを考えているうちに、キャラクターが形成されていきました」
―――雨森のキャラクターには、終始ユーモアがあり、それは演じ手が廣末さんであることが大きく影響していると思います。役作りをする上で、どのようなことを意識されましたか?
廣末「見た目で拒否反応を起こされてしまったらすごくもったいないと思ったので、愛嬌や滑稽さを出すことで身近に感じてもらえるように演じたいと思いました。
ピエロである雨森のキャラクターと自分の中にある様々な要素をすり合わせ、馴染ませて作り上げた芝居を高橋さんに見てもらうという感じでしたね」
髙橋「ユーモラスな部分については、脚本には少ししか書いてないんです。でも、それを廣末くんが上手く汲み取ってくれました。
僕がいいなと思ったのは、ピエロという性質に寄りかかるのではなくて、それを上手く利用して演じてくれたこと。そのおかげで街に綺麗に溶け込んでくれました」