「自分の皮膚の一部みたいな感じで環境に溶け込めた」
芝居場の環境が演技に与える影響について
―――山本さんが演じた桐子は、お父さんとの会話で明かされるように、映画祭に入選した経験のある映画監督という役です。本作を観ると、桐子が過去に撮った映画が観たくなります。
「確かに(笑)」
―――それは山本さんが役に命を吹き込むことに成功している証だと思います。スマホで通話しながら片手でタバコを付けたりする所作、芝居を見る真剣な眼差しなど、細部の部分で説得力のあるお芝居をなさっていると思いました。
「ありがとうございます。他の取材で『今回の役は素の奈衣瑠さんに近いのではないか』と言ってもらったのですが、自分でもそう思っていて。桐子の悩みとか、上手くいかない理由とかがすごくわかるから。
今回は自分のままで映画の中に居ることが許されたのかなって思いますね。なので、映画監督をイメージして演技に臨んだとかは全くなくて、たまたま桐子が映画を作りたい人で、それが中々上手くいかなくて、葛藤している過程がこうですってだけだったので、意識としては」
―――“映画監督っぽさ”を再現しようとするとステレオタイプのお芝居になってしまいますよね。桐子がまったくそう見えないのは、山本さんのお芝居の賜物だと思います。劇中で桐子のシナリオは状況に合わせて変化していきますが、『走れない人の走り方』のシナリオも現場で変わるようなことがあったのでしょうか?
「基本的に変わることはなかったですね。ただ例外はあって。監督が私のことを信頼してくれたって言ったらあれなんですけど、撮る前に『奈衣瑠、これどう思う?』と声をかけてくれることが多々あって。
終盤で桐子が『車を使わない』って宣言した後、カメラマンの水野さんとタバコを吸うシーンでは、本番前に水野さんのセリフが変わったんです。凄く大事なシーンなので、監督もギリギリまで悩んでいて。このシーンのセリフは一緒に話し合って決めました」
―――カメラマンの水野さんは桐子の選択を肯定してくれますよね。「そっちの方が桐子らしい」と。元々のシナリオも肯定するパターンだったのでしょうか?
「そうです。ただ、背中の押し方、その細かい部分で、『こっちの方がいいんじゃないか』みたいなのがあって。それ以外は現場で急な変更とかはなかったと思います」
―――実はそうなのではないかと思っていました。というのも、冒頭で桐子が『合成は嫌だなって』言葉を口にしますが、この映画自体が「とりあえず撮ってから考える」とか、脚本レベルで解決すべき問題を「現場で考える」という態度ではなくて、準備段階から映画の完成形がしっかりイメージされているのが、作り込まれた映像からよくわかるからです。例えば桐子の家のシーンでは、冷蔵庫と桐子のトレーナーが黄色で統一されています。あれはセットですか?
「そうです。東京藝大の美術領域の学生さんたちが作り込んでくれて。学校内にあるんですよ、あの部屋が。その前に参加した蘇監督の短編はロケ撮影メインだったので、今回初めて藝大の中で撮影して、セットの充実ぶりに驚きました。内装で言うと、監督が撮影前日に自身の部屋の私物をとにかく全部出したって言っていました」
―――冷蔵庫には沢山写真が貼られていましたね。山本さんは美術の部分でアイデアを出されたりしましたか?
「めちゃくちゃよく観てくださっていますね。あれは私の写真を使っています。プライベートで友達と撮ったものを持ってきてって言われて」
―――そうでしたか!芝居場の内装や飾り込みがお芝居に与える影響はありますか?
「大いにありますね。カーテンが開いているか閉まっているか、部屋から空が抜けているかとか、私は特に芝居場の環境に影響を受けるタイプだと思います。
今回に関しては、今までセットでお芝居をした経験がなかったので、『どんな感じだろう?』って少し不安に思っていたんですけど、自分の私物があったり、桐子のことを考えて配置された美術に囲まれて、自分の皮膚の一部みたいな感じで環境に溶け込むようにして芝居が出来ました」
―――桐子が帰省してかつての自分の部屋でくつろぐシーンもいいですよね。机の上にある手紙をちらっと見たり、棚の上の漫画を手に取って読むといった動きを自然になさっています。
「私もあのシーン好きです。私は伸び伸びとお芝居をさせていただいた方が活きやすいタイプかもしれません。監督も『奈衣瑠がしたいようにしてね』って感じで。桐子として普通に生活しようって思うと、自由に動くことができる。
ちなみに、桐子が手に取る漫画には、本作の内容に因んで“ロードムービー”ってタイトルが書いてあるんですよ。美術の方の細かい工夫が光っています。あとはオレンジの光が凄く良くて、照明部さんのお仕事が効いているなって」
―――細部が豊かなので2回、3回観ても楽しめる。
「そうそう。あとは映画館のシーンで、受付の男性とバイトの女の子の掛け合いがあるじゃないですか。背景にもこだわられていて。先ほどお話しした私が蘇監督と初めて撮った短編作品のポスターが貼ってあるんですよ。小規模の作品だからこそ体現できる豊かさって絶対にあると思っていて。この映画ではそれが炸裂していると思います」