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作り手の狙いが透けて見えるご都合主義的な展開

映画『ゴジラ-1.0』浜辺美波(東京国際映画祭)【Getty Images】
映画ゴジラ 10浜辺美波東京国際映画祭Getty Images

肝心のゴジラのキャラクターもいまいちつかめない。そもそも恐竜なのか、突然変異の新生命体なのか、神か怨霊かも判然としない。その行動も、動物的な本能によるのか、何かに対して怒っているかもわからない。

とはいえ、ゴジラは人類の理解を超えた厄災そのものであり、それは1954年に製作された初代からずっと変わらない。したがって、ゴジラの行動原理の曖昧さ自体に問題があるわけではない。

問題はゴジラの造形やアクションから、作り手の狙いがあまりにも露骨に透けて見えてしまうことにある。

銀座を襲うのも「映えるから」という以上の理由が見当たらない。放射線発射までの背びれ発光ギミックも、ドキドキ感を盛り上げるためのカウントダウン形式を取りたかったからとしか思えない。

確かに、アツい展開もある。印象的なキラーカットもある。“ゴジ泣き”要素もある。ただ、それをやりたいがために逆算したようなご都合主義の展開が多くて、「ん?」と我に帰ってしまうのだ。

ご都合的な演出はゴジラのみならず、人物描写にもあてはまる。銀座のパニックでの敷島と典子の再会は、いくらなんでも展開を端折りすぎではないか。

敷島が、ある人物に殴られるくだり、そんな噂をバラまく以外に方法があったのではないか。しかもなぜ丁寧に両手両足を縛りあげられてるのか…。

他の登場人物も、どこかで見たようなキャラ造形で、その役柄が言いそうなことを、言いそうな雰囲気で喋っているだけなので印象に残らず、流れていってしまう。

終盤、ゴジラを倒す作戦は、なるほどと思わせるものがあり、その遂行に向けて映画は盛り上がっていくのだが、その闘いの描写に、山崎監督が好きそうな『ジョーズ』『ダンケルク』『スターウォーズ』と節操がないオマージュを捧げるのも集中できない一因だ。

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