「笑ってはいけないシリーズ」にヒントがある!?
さて、この「映像美」と「宮城リョータの過去」という2つのトピックスは、レビューにおいては捨て置くわけにはいかないが、あくまでメインディッシュは「山王戦の40分間だった」というのが、僕の感想だ。スラムダンクを愛する人がこの映画をもれなく楽しめるのは、新しいトピックスの出現によってではなく、あの山王戦をもう一度 高い解像度をもって体験し直せるからだ。
解像度と言ったのは、本作は漫画やアニメ以上に、実際にその場に立ち合っている没入感があるからだ。演出として、バスケットボールという競技の特性が存分に生かされていたと思う。比較対象にサッカーを持ってくると、競技として、サッカーは大きなグラウンドが必要で、そのため学校や行政からグラウンドを借りることを前提とした “オフィシャル”に行われるスポーツ。対してバスケは、五輪競技にも採用された3×3(スリー・バイ・スリー)や所謂1on1(ワン・オン・ワン)など、場と人のセッティングがミニマルで済むというか、言ってしまえば適当でもOKな “ストリート” なカルチャーだ。
それゆえプレイヤーと観客の垣根は物理的にも精神的にも低く、一体感がある。Bリーグを観に行くと、コートと座席の近さに加え、選手にも聞こえることを前提に音楽・MCで観客を煽っている点に驚かされる。
そうした一体感がバスケットボール、ひいてはBリーグの魅力であり、翻ってJリーグではそれが課題として語れられている。『THE FIRST SLAM DANK』でも、頻繁に応援席のカットが示され、音響も連動し、映画を観る我々に対しての巻き込みが丁寧に行われていた。
さらに、もう一つだけ。昨今、「笑ってはいけないシリーズ」(日本テレビ 2006年〜2020年)を嚆矢にして、「ドキュメンタル」(Amazonプライム・ビデオ 2016年〜)、「トークサバイバー」(Netflix 2022年)など、「笑ってはいけない」という制限が、逆にコトを面白くする現象を利用したコンテンツが流行している。
メカニズムとしての「笑い」は、身体性を伴った感情の発散であり、その出口が塞がれると頭の中で(あるいは腹の中で)面白さが増幅される効果があると筆者は分析している。同じように今回の山王戦でも、拍手したり声を出したりしたくなるシーンに限って無音になり、行き場を失ったエネルギーが体内で反響した。観客の多くが、そうした感覚に導かれて興奮状態になったはずだ。
さて、このようにいくつかの仕掛けを講じて僕たちをピッチに引き込んで、スラムダンクは何を伝えたかったのか。