インヒアレント・ヴァイス 演出の魅力
前作『ザ・マスター』(2012)から2年という比較的短いスパンで制作された、ポール・トーマス・アンダーソン(以下、PTA)による7本目の長編劇映画。原作は現代文学の巨星・トマス・ピンチョンが2009年に発表した同名小説(邦題は『LAヴァイス』)であり、ピンチョン作品の映画化は本作が初となる。1970年代のカリフォルニアを舞台に、ヒッピーの私立探偵が複数の事件に関わるにつれ、巨大な陰謀に巻き込まれていく。
暗い画面と絶望的なムードを特徴とするハリウッドの犯罪映画(フィルム・ノワール)の系譜に連なる作品でありながら、カリフォルニアの燦々とした光はスクリーンを明るく照らし、謎に翻弄される主人公は筋金入りのマリファナ愛好家であり、ヒッピーカルチャー華やかなりし時代の享楽的なムードが作品全体を包んでいる。
PTAの演出も、緊迫感にあふれた前作とは打って変わって、遊び心に満ちたものとなっており、良くも悪くもゆるく、気の抜けた印象をもたらす。ドッグと元恋人のシャスタ(キャサリン・ウォーターストン)が再会を果たすシーンでは、両者の対話は「イマジナリーライン」(2人の対話者の間を結ぶ仮想の線)を無視した「切り返しショット」によって構成されているため、随所で視線がすれ違い、観る者に強烈な違和感を与える。と同時に、このシーンでもドッグは案の定マリファナをたしなんでおり、「シャスタの存在自体が幻覚なのではないか?」という疑問を抱かせる。
また、登場人物の顔を大写しで捉えた極端なクローズアップが多用され、遠近感に狂いが生じることで、作品全体がジャンキーの見る幻覚さながらのトリップ感を獲得する。
長年「不可能」と言われ続けたピンチョン作品の映画化に果敢に挑んだPTAは、1940年〜50年代にかけて成立した「フィルム・ノワール」という伝統的なジャンルに、ヒッピーカルチャーや陰謀論といった70年代の符牒をミックスさせることで、特定のジャンルに収まらない異形の作品に仕上げてみせた。