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スザンナの錯乱を表現したカメラワーク〜映像の魅力

映画『17歳のカルテ』施設の廊下で夜な夜な歌うシーン
映画17歳のカルテ施設の廊下で夜な夜な歌うシーンGetty Images

本作には、スザンナの錯乱した意識を表象した映像表現が随所に散りばめられている。

例えば前半部では、精神病院のシーンとスザンナの回想シーンがシームレスに挿入される。特に、トビーと二人きりの時間を過ごしている最中、いきなり看護師が「チェック」に入ってくるシーンは、観客の意表を突いた編集だろう。また、後半部では、デイジーの死をきっかけにリサと離れたスザンナの日々が、回転するようなカメラワークとともに、スザンナの精神病院での日々が紡がれる。

スザンナは冒頭、次のようなセリフを発している。

「夢と現実が混乱したことはある?お金があるのに万引きしたり。落ち込んだり。現実と実感がズレていたり。私が異常だったのか?60年代のせいか?ありがちな、ただのつまづきか?」

精神病院に入院した当初、自分の殻に閉じこもり、かたくなに自分を守ろうとしたスザンナだが、他の患者たちと過ごし、打ち解けていくうちに、徐々に社会への疑問を募らせていく。

この彼女の疑問には、1960年代という時代も大きく関係している。この時代は、学生運動やヒッピーなど、若者たちを中心に既存の社会体制への反発が極端に強まった時代。大人たちが反抗的な若者たちに「精神病」というレッテルを貼り、精神病院の中に閉じ込めたのは、容易に想像がつくだろう。

なお、この事実は、スザンナをはじめ、患者たちの多くが退院したという事実からも容易に想像がつく。精神病とは、時代が生み出した生み出した病だったのかもしれない。

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