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新たなサスペンス演出

③ 外部の視点を取り入れることで“シャマラン節”を相対化する

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まず、誤解されがちだが一貫して民主党支持者であり、少なくとも本人の自認としてはリベラル派であるはずのシャマランにとっては、Qアノンに代表されるような右派カルトの台頭は無視できないものだった、という点が一応は指摘できよう。

だが、彼は同時に、あるいはむしろ本心としては、過激な時事ネタを取り入れた方がジャンル映画としては「面白く」なる、という身も蓋もない側面を常に意識し続けてもいる作家なのだ。

そんな彼にとって、一方で娯楽性を追求しつつ、他方で陰謀論と自作の関係を再考するツールとして、カルト教団以上に危うく魅力的な対象は他に存在しないのだろう。自作とカルト集団を気軽に比較するようなこの姿勢は、オリジナリティに尋常ではないこだわりを抱いていた過去作とは打って変わって、近作では積極的に原作ものを扱い、たとえば娘のイシャナやジュリア・デュクルノー、先述した撮影監督たちといった、さまざまな若手を積極的にフックアップするようになったという彼の変化とも軌を一にしている。

そうした外部の若い視点を積極的に取り入れていることが、ストーリー上でも、従来シャマラン節と呼ばれてきたような要素の相対化につながっていることには疑問の余地がない。*2

要するに、歳を取って自身は丸くなって社会も変わっただけだ。たしかにそう切って捨てることもできるのだが、ここ最近のシャマランの一筋縄ではいかないところは、そうした自身の関心に生じた変化と観客からの期待を天秤にかけつつ、新たな形でサスペンスを醸成する演出へと密かに舵を切っているように見える点だ。

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